平群町指定文化財信貴山城跡 信貴山は聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山で毘沙門天が現れ、太子が「信ずべし、貴ぶべし」といったことに由来し中腹には信貴山真言宗総本山の朝護孫子寺(信貴山寺)が鎮座します。 松永久秀はこの標高437mの信貴山に大城郭を築きました。城域はとても広大で見どころが多くあります。 山頂の信貴山城跡の石碑を見て帰ってしまいそうですが、それだけでは勿体無いです。 城跡の中心部「松永屋敷跡」までは行くようにしてください。 城跡が山頂から北側に放射状に広がって曲輪が何段も連なっているのがわかります。 更に松永屋敷跡の西側の曲輪群の先端部まで行くと当時の大手であろう場所に石垣があって虎口を形成しているのがわかります。 朝護孫子寺から登って下っておおよその目安行動時間90分、距離3.4km、比高差350mです。 #お城 #城跡 #城 #山城 #城巡り #奈良県 #奈良県の城跡 #奈良県の城 #平群町 #信貴山...
Read more松永久秀屋敷跡に向かう入り口。信貴山頂上から降りてきたが、あまりにも急な斜面で山城の恐ろしさがよくわかった。ここは入り口で奥に松永久秀跡があるが薄暗かったので遠くの方から見るだけにしたが、屋敷を建てられるような平場が広がっていた。
信貴山城は、戦国時代の武将、木沢長政により築城され、一旦焼失し、大和に入国した松永久秀が改修。大規模な城郭を築く。その後、筒井順慶・三好三人衆の連合軍により落城し、すぐさま久秀が奪い返すなど、激しい合戦の舞台となる。久秀の最期は有名。織田信長との信貴山城の戦いで、信長がほしがっていた名器「平蜘蛛茶釜」とともに...
Read more地元の方が熱心に整備しているようで、看板や草刈、階段の整備等がされています。よく見ると、小さな土塁っぽいものも見られます。 行き方ですが、朝護孫子寺からですと、雄峰から降りるか、多宝塔から登るか、のどちらかと思います。多宝塔から行く方ですが、林道をひたすら歩きます。途中全然看板がないのでかなり不安になりますが、20分ぐらいで池を過ぎてすぐに「信貴山城跡」という手書きの看板に出会いますので、それを左に曲がって登ると、松永屋...
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