20200607第2回茨城県ホテル周辺の神社巡り弾丸ツアーに行って来ました! 今回は、茨城県笠間市方面がターゲットです! 愛宕神社、常陸国出雲大社、稲田神社、石井神社、笠間稲荷神社、八坂神社、三所神社、助川鹿嶋神社で参拝を済ませ、ホテルまでの道中、神峰神社に立ち寄って参拝させて頂きました! 神峰公園は賑わってましたが、参拝に来てるのは私だけでした! 驚いた事に、狛犬の手前にリアルなライオンが出迎えてくれます! とても立派な神社さんでした! 参拝を済ませ、社務所で御朱印をお願いした時に摂社:稲荷森大神の御朱印も併せて頂きました!
神峰神社:茨城県日立市宮田町に鎮座 御祭神:伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、熊野櫲樟日命(クマヌノクスヒノミコト) 御由緒:創立年代は定かではないが、言い伝えによると室町時代には宮田村の鎮守として神峰山山頂に祀らていたとのこと。 その後、山の中腹にある鬼ヶ洗水(鬼が岩を引っ掻いた跡があるらしい場所)に遷座された。 しかし、場所が悪かったのか疫病が流行したため、より霊験あらたかな山の頂へ戻ることになる。 このようにして神様が山頂にお鎮まりなられたことから、神峰山と呼ばれるようになった。 神峰神社において特筆すべきお祭りが7年に一度執り行われる大祭禮である。 「水戸黄門」として親しまれている水戸藩2代藩主徳川光圀の命により、宮田・助川・会瀬の三ヶ村の総鎮守となり、各お宮・各町内を馬に乗り渡御する。 人々の安寧を祈念するこのお祭りは、300年以上の歴史があり、合わせて登場する4台の風流物(山車)は多くの観光客を魅了する。 それまでは不定期に執り行っていた大祭禮だが、平成3年に7年に一度齋行することを決定...
Read more神峰神社(かみねじんじゃ)。 旧社格は郷社。
資料によると、 創建は不詳。伝承では室町時代には神峰山山頂にまつられていたとされる。
その後、1428年に宮田村字山王に、1554年に神峰山中腹の鬼ヶ洗水という場所に遷座されたが、1688年に再度山頂に遷座された。この際、郷から遠い山頂では参拝に不便として現在の拝殿がある場所に里宮が造営された。
1695年に時の水戸藩主、徳川光圀の命により、宮田、会瀬、助川の総鎮守となり、大祭礼には宮田浜の宮・助川を経て会瀬まで渡御することが定められた。1871年に郷社に列せられた。
神峰神社は「鉾」を御神体として奉祀しています。 これは、祭神のイザナギ様・イザナミ様が原始の混沌とした大地をかき混ぜた時に「天沼矛(アメノヌボコ)」を手にしていたという古事記の国生み神話から来ています。 「鉾」を御神体とする神社は珍しく、神峰神社の特徴でもあります。 とあります。
主祭神: ・伊邪那岐命(イザナギノミコト) ・伊邪那美命(イザナミノミコト) 日本の神話の最初に出てくる神。商売繁盛、家内安全などの広い神徳を持ち、最初に結婚したことから結婚の神ともされる。 ・熊野櫲樟日命(クマヌノクスヒノミコト) 天照大神が素戔嗚尊...
Read more社殿の脇にある枝垂桜は4月になると見頃を迎えます。 伝承では室町時代には神峰山山頂にまつられていたとされる。 その後、1428年に宮田村字山王に、1554年に神峰山中腹の鬼ヶ洗水という場所に遷座されたが、1688年に再度山頂に遷座された。この際、郷から遠い山頂では参拝に不便として現在の拝殿がある場所に里宮が造営された。 1695年に時の水戸藩主、徳川光圀の命により、宮田、会瀬、助川の総鎮守となり、大祭礼には宮田浜の宮・助川を経て会瀬まで渡御することが定められた。1871年に郷社に列せられた。 社殿は権現造りで、本殿と拝殿が一体化している。1945年に戦災で焼失しており、1957年に再建された。参道は国道6号から社殿に伸びる表参道と、拝殿脇から日立市かみね公園に抜ける裏参道がある。鳥居は表参道に2つ裏参道に1つある。境内には手水舎、授与所、古札納所、風流物の山車の収蔵庫などの建物がある。また、二の鳥居の手前に獅子像があり、由緒は不明だが魔除けの御利益があると言われている。...
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