長姫神社 飯田城跡 平山城(490m/50m) 別名:長姫城 遺構:石垣,土塁,堀 城主:坂西氏,武田氏,毛利秀頼,菅沼定利,毛利秀頼,京極高知,小笠原秀政,脇坂安元,脇坂安政,堀親昌,堀親貞,堀親常,堀親賢,堀親庸,堀親蔵,堀親長,堀親忠,堀親民,堀親しげ,堀親義,堀親広 歴史:築城年代は定かではないが鎌倉時代に坂西氏によって築かれたと云われる。 坂西氏の出自については詳らかではないが、飯田城を築いて愛宕城から居城を移したと云われる。戦国時代には武田信玄によって攻略されたが、天正10年(1582年)織田軍の侵攻により落城した。織田氏の領地となった後は毛利秀頼が入封したが、本能寺の変の後は徳川氏の領地となり、菅沼定利が城主となった。 天正18年(1590年)徳川家康が関東へ転封となると、菅沼氏は上野国吉井へ移り、毛利秀頼が再度入封する。文禄2年(1593年)文禄の役で秀頼が病没すると京極高知が入部した。慶長6年(1601年) 京極高知は丹後国宮津へ転封。下総国古河より小笠原秀政が五万石で入封。慶長18年(1613年) 小笠原秀政は信濃国松本へ転封。元和3年(1617年) 伊予国大洲より脇坂安元が五万五千石で入封。寛文12年(1672年)...
Read more飯田城跡 飯田城は江戸時代に飯田藩の藩庁が置かれた伊那を代表する城です。 松川と野底川にはさまれた河岸段丘の先端を利用した平山城で、東に本丸を置き、二の丸、桜丸、出丸と曲輪を並べていました。 現在、飯田城の遺構はほとんど残っていません。本丸跡は長姫神社の境内となって、二の丸跡には飯田市美術博物館があります。藩主の居館のあった桜丸跡は長野県飯田合同庁舎として利用されており唯一城内に残る桜丸御門は現存です。 【飯田城桜丸御門(赤門)】 赤門は飯田城で唯一当初位置に残る建物です。 他に飯田城の建築物は二の丸の御門(旧飯田城の八間門)桜丸の御門(経蔵寺山門)桜丸西門(雲彩寺山門)馬場調練場の門(脇坂門)がありますが、いずれも移築され飯田市指定の文化財です。 またこの赤門は、全国でも数少ない現存の赤門です。 赤門は、大名に嫁いだ将軍徳川家の娘の敬称である「御守殿(ごしゅでん)」のために許された特別な門で、火事などで焼失しても建て替えが許されていません。そのため、全国でもほとんど残っていません。 城門に限れば東大の赤門(旧加賀藩主前田家上屋敷御守殿門)、和歌山城追廻門や名古屋城の三の丸清水口の赤門(泰岳寺に移築)などが知られています。 #お城 #城 #城跡 #長野県...
Read more伊那市北部からこの飯田市まで延びるいわゆる伊那谷は、木曽山脈のある中央アルプスと赤石山脈のある南アルプスに挟まれた、非常に秀美な景観の地域です。
その伊那谷の南端に位置する飯田市は古くから豪族の治める地域で、この飯田城址も室町時代には整備されていたようです。 現在の飯田城址は明治維新により徹底的に破壊され、城跡には到底見えない姿になっていました。
ただ、飯田市街の中心にある段丘状の小さな台地上にある為、市街地の外から遠望すると見事な立地であることが解ります。 その段丘の先端に本丸があり、先端のさきは崖で防御の優れた城であることがわかりました。 城内には神社と宿泊施設(ホテル)、柳田國男館などが在り、その宿泊施設右脇の路地を入っていくと本丸のあった段丘先端の状態がわかります。 私有地のようですので入るにはホテルの許可をと...
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