岩倉城の🏯跡地行ってみました😉
岩倉城跡は、愛知県岩倉市下本町に位置する歴史的な城跡です。15世紀後半に織田敏広(または織田信安)によって築城され、尾張国の上四郡を支配する拠点として重要な役割を果たしました。しかし、1559年(永禄2年)に織田信長の攻撃を受け、落城しました。  
現在、城跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の石碑が建てられています。また、近隣の神明生田神社の境内には、岩倉城の家老であった山内盛豊の子、山内一豊の誕生地を示す碑もあります。  
アクセス方法: 名鉄犬山線「岩倉駅」から徒歩約10分で到着します。 ...
Read more尾張上四郡を支配する伊勢守織田家の本城なだけあり、当時は二重の堀を配し堀幅は20m深さ3mに東側には五条川も流れ、望櫓もあり、堅固な城だったようです。岩倉城の伊勢守織田家は、急速に力をつけ清洲城を奪い、大和守家を滅ぼした信長に対抗すべく、美濃の斎藤義龍と同盟を結びましたが、城主織田信安が嫡男信賢に城を追われる内訌が発生し、信賢が実権を掌握しました。これに乗じ信長が岩倉織田家を滅ぼす為に、犬山城の織田信清を調略味方に付け、浮野の戦いで岩倉方の首を1250討ち取り壊滅的な打撃を受けた岩倉織田家は城に籠もりますが、信長勢は岩倉城の周囲に鹿垣を築き、町に火をかけ、連日のように矢や鉄砲を打ち込み3ヶ月程籠城で持ちこたえ様ですが、降伏し城主信賢は美濃に逃れました。岩倉城落城でほぼ尾張統一を成し遂げた信長ですが、翌年には今川義元の侵攻により桶狭間...
Read moreこの城址が、信長さんに落城させられた城というのを知り、訪問しました。
岩倉城は文明11(1479)年に[尾張伊勢守家]の居城として築かれました。[伊勢守家]は、同じ尾張守護代で清須城にあった[織田大和守家]と対立していました。後に永禄2年(1559)尾張の統一を目指していた織田信長さんの攻撃を受けて落城してしまいました。その時廃城となりました。
その後、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いにおいて、徳川家康さんがこの岩倉に陣を置きましたが、その時この城に陣を置いた可能性が高いようです。なので、この岩倉城は[家康さんゆかりの城]とも言えます。
周りの堀を調べると、主郭部分は、100m四方、外郭を入れれば200mほどある大規模な城だったようです。 とても目立たない所にありましたので、一度スルーしてしまいまし...
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