43.山中温泉
【芭蕉自筆影印】 ①おくの細道紀行文 温泉耳浴春其功有間耳次と云 (温泉に浴す。其功有間に次と云。)
山中や菊盤たをらぬ湯の匂 (山中や菊はたをらぬ湯の匂)
あるし登春るもの盤 久米之助とて いま多小童也 可禮閑父俳諧を好て 洛の貞室若輩のむ可し 爰に来りし比 風雅尓辱(ハヅカシメ)ら禮て 洛に帰りて 貞徳の門人とな川て世に志ら流 功名の後 此一村判詞の料を請春と云 今更む可し物可多りとハ成ぬ 曽良ハ腹を病て 伊勢の国長嶋と云處尓ゆ可利あ連者 先立て旅立行尓 ゆきゝゝて堂ふ禮伏共萩の原 曾良 と書置多り 行ものゝ悲しミ 残るものゝうらみ 隻鴨のわ可禮て 雲耳まよふ可ことし 予も又 (あるじとするものは、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父俳諧を好て、洛の貞室若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱(ハヅカシメ)られて、洛に帰りて、貞徳の門人となつて世にしらる。功名の後、比一村判詞の料を請ずと云。今更むかし物がたりとは成ぬ。曽良は腹を病て、伊勢の国長嶋と云処にゆかりあれば、先立て旅立行に、 ゆきゝゝてたふれ伏とも萩の原 曾良 と書置たり。行ものゝ悲しミ、残るものゝうらみ、隻鴨のわかれて、雲にまよふかことし。予も又、)
遣ふよりや書付消さん笠の露 (けふよりや書付消さん笠の露)
【句碑】 ①国分医王寺 石川県加賀市山中温泉薬師町リ1の1

山中や菊者手折らし湯能匂ひ (山中や菊は手折らじ湯の匂ひ)

②大木戸門跡 山中温泉マップ参照

や万な可や菊盤多おらしゆのに本飛 (やまなかや菊はたおらじゆのにほひ 初案 大垣記念館)


③道明地蔵の右側 山中温泉マップ参照
や万那可や支具盤太於らしゆ能尓ほ飛 (やまなかやきくはたおらじゆのにほひ)

④大木戸門跡 山中温泉マップ参照
漁り火尓河鹿や涙の下むせび (漁り火に河鹿や浪の下むせび) (いさり火にかじかや波の下むせび 大垣記念館)

⑤鶴仙渓こおろぎ橋・岩不動お堂の先 山中温泉マップ参照

かゝり火に河鹿や波の下むせび (かゞり火に河鹿や波の下むせび)

⑥大木戸門跡
今日よりや書付消さん笠の露 大垣記念館

④和泉屋跡 菊の湯南左前角 山中温泉マップ参照
湯の名残今宵ハ肌の寒可らむ (湯の名残今宵は肌の寒からむ 大垣記念館)

《施設・句碑拡大写真はgoogle...
Read more元禄2年(1689)7月末、〔奥の細道〕の旅で山中温泉に滞在した芭蕉は、〔医王寺〕を訪れている。 本文には出てこないが、旅に随行した曽良の旅日記の廿八日の項に、 薬師堂其外町辺ヲ見ル と記載されている。薬師堂は医王寺のこと。 境内に芭蕉句碑が建っている。 山中や菊は手折らし湯の匂ひ 芭蕉 昭和58年(1983)に建立された碑。 芭蕉の句碑以外にも、詳細は分からないが、 ・可床句碑 梢から染るてもなし初紅葉 可床 ・叡運歌碑 けがれたる人の心も清まりぬ此の山かげのたきの流れに 叡運 ・尚生句碑 惜しみなく咲けよ花に僧一句 尚生 ・三句を刻んだ句碑 撫子の花や秋知る湯の薫り 蒼 さめてゆく湯の落ち知りや杜若 梅通 土用湯や空の病の根なし雲 謹一...
Read more山中温泉の西側山手の国道沿いにある当寺は、山中温泉の入湯客のやすらぎの寺として古くから存在しているようです。本堂はかなり変わった形をしており、寄棟の大屋根の上に、八角形の屋根を持つ多宝塔の上部分が乗っかったような姿で、尚且つ色鮮やかに装飾されているので目立ちます。当日は突然の訪問にもかかわらず、本堂でお参りをさせていただき、御朱印...
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