45.全昌寺
【芭蕉自筆影印】 ①おくの細道紀行文 大聖持の城外全昌寺登云寺に泊る 猶可ゝの地也(?) 曽良も前の夜此寺に泊りて 終夜秋風聞やうらの山 と残ス 一夜の隔 千里にお那し 我も秋風を聴て衆寮耳臥 明本のゝ空ち可ふ 讀經聞ユル二 板鐘(ハンショウ)鳴て食堂耳入 氣ふ盤越前の国へ登 心早卒尓して堂下尓下ル 若き僧共 紙 硯を可ゝへて 階(キザハシ)の无とまて追来ル 折節庭中の柳散連者 (大聖持の城外全昌寺と云寺に泊る。猶かゞの地也(?)。曽良も前の夜此寺に泊りて、 終夜秋風聞やうらの山 と残す。一夜の隔、千里におなじ。我も秋風を聴て衆寮に臥。明ぼのゝ空ちかふ、読経聞ゆるに、板鐘(ハンショウ)鳴て食堂に入。けふは越前の国へと、心早卒にして堂下に下る。若き僧共、紙、硯をかゝへて、階(キザハシ)のもとまで追来る。折節庭中の柳散れば、)
庭掃て出者や寺に散柳 (庭掃て出ばや寺に散柳)
とりあへぬ一句 草鞋な可ら書捨ツ (とりあへぬ一句、草鞋ながら書捨つ)
【句碑】 ①全昌寺

庭掃て出者や寺に散柳 (庭掃て出ばや寺に散柳)
「自筆・おくのほそ道・紀行文を拡大」

《施設・句碑拡大写真はgoogle...
Read more松尾芭蕉はこの全昌寺に金沢から同行してきた北枝とともに泊まった。
じつは芭蕉が泊まった前の日まで、弟子の曽良がこの全昌寺に二泊していた。 曽良が全昌寺で詠んだ句 「終宵秋風聞くやうらの山」(曽良/奥の細道)
曽良は夜もすがら、夜中じゅう裏山の秋風を聞いていたらしいのだが、この「うらの山」は全昌寺の裏にある丘のことだろう。
芭蕉は全昌寺で一泊し、次の朝、朝食を食べてから出掛けようとすると、若い僧らが紙や硯をかかえて階段の下まで追っかけてきた。ちょうど庭の柳の葉が散ったのを見て、 「庭掃いて出でばや寺に散る柳」(松尾芭蕉/奥の細道)
と即興の句を作って書き与えたとのこと。 有名人が来たので、なにか書いてもらおうという気持ちは現在に...
Read more加賀市〔全昌寺〕の庭には多くの碑が建っている。 ・おくの細道碑 大聖寺の城外全昌寺と云寺に泊る・・ 〔奥の細道〕の内、全昌寺に関わる一節。裏面の説明では、芭蕉の自筆という。 ・芭蕉句碑 庭掃て出てはや寺に散柳 はせを 〔はせを塚〕とは別の碑。 ・二宮木圭句碑 爪杖は如意のことなり柳蔭 〔はせを塚〕は木圭らによって建立された碑。 ・流水句碑 音たへぬ古池にそう柳かな 詳細は分からないが、金沢の俳人・綱村流水か? ・杉山杉風作 芭蕉坐像 ・深田久弥句碑 翁忌や師をつぐ故に師を模さず 九山 ・全昌寺、芭蕉忌における深田久弥(九山)作・全句 深田久弥:「日本百名山」などで知られる作家、俳人、登山家。俳人としては高浜虚子に師事。...
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