【都紀女加王墓(つきめかのみこのはか)】 《上峰町教育委員会設置の案内板では(つきめかおうぼ)と表記》 歴代の皇室関係の墓、陵墓が佐賀県内として唯一、上峰町にあって。 それが「都紀女加王墓」宮内庁の管轄区域となってます。 『自衛隊 目達原駐屯地』に隣接し。『吉野ケ里歴史公園』からも車で約10分位の距離でしょうか?
都紀女加王(つきめかのみこ)とは『日本書紀』『古事記』に記載は無いが、第15代応神天皇の曾孫にあたり、この辺り一帯を納めていた方のようです。 (ウィキペディア、文化庁ホームページ参照)
皇室に関連があり、宮内庁管轄の古墳と言う事ですが。汚くは無いものの、雑草は生い茂り。とにかく雑然としていて「本当にしっかり管理されているのかな?」と感じるほどです。
おそらく地元の方々のボランティア精神によって、辛うじて体裁が保たれているのではないでしょうか?
せっかくの歴史的遺物であるにもかかわらず、そこまで大切には思われていないのではないでしょうか・・・
佐賀県民にだけでなく、全国民に対しても、もっと周知されて良いように思われますが・・・ どこか、打ち捨てられたような感じを受ける史跡でした。
近辺に車を留められるところも全く無く。
敷地内には《宮内庁》による [一、みだりに域内に立ち入らぬこと] [一、魚鳥等を取らぬこと] [一、竹木等を取らぬこと] の注意喚起の立て札が立てられています。
入口も“チェーン”だけとは言え、進入を阻むように渡されていて。 まあ・・・当然なのでしょうが、基本的には【立ち入り禁止...
Read more田舎街の一角にあまり目立つ事なく佇んでいます。都紀女加王(ツキメカオウ)という応神天皇の曾孫の古墳だそうです。記紀にこの王の記述は見当たりませんが旧事本紀には竺志米多国造として書かれているそうです。稚沼毛二俣命の孫であるとか… 応神天皇→宇佐家→月信仰→この王の名前にツキがあるのはその名残かも?とか気になりました。
俗に言う前方後円墳の形をしていて、周囲に溝が掘られていたそうです。 地理的に考えて当然ですが、道教の影響を強く受けていると思います。
竺志米多(チクメタ)の国は…筑紫のチクかな?メタは…近くに目達原(メタバル)という地名が残っています。とりあえず、実在した国だろうと思います。米が多く取れる場所だったんだろうなぁ。
ここで古代から姿が変わらないホタルガも見つけました。古墳作られた頃からずっとここに住んでいるのかな?と想像を膨らませたりもしました。
ちな...
Read more都紀女加王は、応神天皇の曽孫(3世孫)にあたり、筑紫米多国造としてこのあたり一帯を治めていました。 ここにある墓は、上(かみ)のびゅう塚古墳という遺跡にあり、宮内庁により都紀女加王の墓に定治されています。 上のびゅう塚古墳は、前方後円墳で墳丘長は49mで5世紀の築造と推定されます。 このあたり一帯には、目達原古墳群として大塚古墳・古稲荷塚古墳・稲荷塚古墳・塚山古墳・瓢箪塚古墳・無名塚古墳・横田南塚古墳等存在していましたが、昭和17年目達原飛行場建設で破壊されました。上のびゅう塚古墳の北に墳丘墓模型として7分...
Read more