大和国 山口六社(延喜式祈念祭祝詞に記載:山の神 水の神を祀る)飛鳥 石寸 忍坂 長谷 畝火 耳無の一社 創建は不詳ながら飛鳥・奈良時代からの伝承があり 宮殿造営の為 畝傍山御料材守護として山神の霊 大山祇命を祀ったのが起源とされます(現在地より北に鎮座されていたそうです) 南北朝時代 当地の越智氏が貝吹山(南方約3km)に櫓代わりの城を築き 戦国時代にかけて詰城から本城へと して行く過程で「見下ろすのは良くない」と神社を山頂へ遷し この時に神功皇后 豊受比売命 表筒男命を祀ったと謂れています 祭神の顔ぶれを見ると 当時は武神・兵糧攻め除け として祀ったのでしょうか🤔 1446年「五郡神社記」では山麓 1575年「大谷神主畝傍山古図」では山頂となっていますが1569年に貝吹山城は落城していますので その辺りまでに山頂へ遷ったと思われます その後1863年(幕末)神武天皇陵が定められ1890年(明治23)橿原神宮が創建され1940年(昭和15)橿原神宮の拡張工事の折 日本政府より「神威をけがすので見下ろすのは良くない」と"御達し"があり 郷社から県社に昇格し現在地に遷座したという事です
近鉄南大阪線利用 朝一番の電車に乗り約1時間で橿原神宮西口駅に降り立ち 早朝7時前に参らせて頂きました 朱の鳥居の手前右側に畝傍山登山口(西側)があり...
Read more「畝傍の道」巻一の二の二十一 橿原市大谷町157-1 畝火山口神社(うねびやまぐちじんじゃ)
―地元の人々からは「おむねやまじんじゃ」と呼ばれています―
奈良に通うこと苦節15年、本日初めて登頂しました。耳成山・天香久山と併せて大和三山、ということになります。私のお気に入りは天香久山で、麓に設置された大きな万葉歌碑も素晴らしいと思います。
いったん頂上に移設・鎮座された社でしたが、「頭が高い」ので麓に再び移設されたらしいです。私の考えでは二上山と向かい合わせのこの西麓に、ゆったりと夕陽からエネルギーを貰えるこの場所が好きなんで、こちらがよろしいかと存じます。 ウィキペディアに記述されているように延喜式祝詞に記される大和国内の山口社6社(飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無)のうちの1社です。 そちらの方も制覇すべく頑張ります。
万葉歌碑(神社入口/一の鳥居に向かって右側) 《橿原市観光政策課発行/橿原の万葉歌碑めぐり 平成31年3月発行》 No.19 思ひあまり 甚(いた)もすべなみ 玉襷(たまたすき) 畝火の山に われは標結ふ 不詳 巻7-1335 思慕の心に堪えかねて、何とも仕様なく 玉襷畝傍山に私は標しを結ぶことだ。
「畝傍の道/万葉・古代の遺構めぐり」もま...
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