川崎市は麻生区に有ります「勝坂」です。
最初に言っておきますが…誰もわざわざこの坂を見に来ようとは思わない様な…地味な史跡です。 しかしながら、そういった頭で往時を偲んで想像する、想像系史跡も大事なのですよ。
「勝坂」の名前の由来ですが 享禄三年(1530年)にこの地で「小沢原の戦い」という戦が有った様です。この戦は小田原北条氏と扇谷上杉氏の戦でした。
一回目の衝突では小田原北条氏が負け、扇谷上杉氏が勝利したとの事です。 しかし、夜営の為に川沿いの場所に移動した扇谷上杉氏を、北条氏康が夜討ちし逆転勝利したとの事です。夜営を急襲された扇谷上杉氏は総崩れとなり敗走したとの事です。
夜討ちは武将としては…ちょっと誉められたものでは有りませんが…まぁ何しろ初陣の北条氏康は勝利に大喜びし、この坂を「勝った勝った」と叫びながら駆け上がったと伝わります。
生きるか死ぬかの時代ですから…卑怯か正々堂々かは是非にあらずですが… あなたならどう生きますか?自分はどうだろうか?そんな事を考えながら景色を眺めて来ました。
本当にただの坂道で、歴史オタク向けの史跡です。 でも眺望は良く、晴れていれば丹沢山地を遠くに眺められる様です。この日は生憎の曇空でした。
歴史オタクの方は何かのついでに、是非にブラリと訪れてみましょう。 (説明看板有る様ですが...
Read more✤ かちざか 『16世紀に北条早雲の孫、新九郎氏康(しんくろううじやす)が上杉朝興(うえすぎともおき)と初陣を戦って勝利した。 その喜びで、氏康はこの急坂を「勝った、勝った!」と叫びながら駆け上った』
このような名称のいわれが残っています。 (かつて坂の上の桜の樹の根元にあった細山郷土資料館の案内板の表記。 資料館は2015年に閉館し、その後老朽化のためか案内板も撤去されています)
坂の頂上は眺めが良い高台で南東から西の方向が開けており、富士山を望むには絶好の場所です。 また、坂上付近の桜の樹は春には綺麗な花を咲かせます。ソメイヨシノとヤマザクラ系でしょうか、薄桃色と、若葉の緑が混ざった白色の花が楽しめます。
坂の頂上は標高110mの高さがありますが、現在の東西方向の坂は急坂ではありません。 多分、若き武将が駆け上がった坂は、現在の南北方向に傾斜がある急斜面にあったのではないかと推測します。 50年くらい前の航空写真を見るとそこに道があるように見えました。(その頃は階段だったらしい)
(❖update: 2018-10-10 ...
Read moreよく歩いたコースの休み所。富士山の頭、町田や藤沢のビル群、横浜方向彼方には天気が良ければランドマークタワーも見えます。ここらの高いところに扇谷の上杉朝興との戦いで北条新九郎氏康が初陣(小沢原の戦い)を飾り、不利な状態から夜襲によってからくも勝利した時に勝どきをあげたと伝えられ勝坂があったようです。付近は古戦場であり、それら由緒の書かれた看板が桜の木の脇に以前ありましたが何故か今は撤去されています。またその中に国木田独歩先生が「ここから江の島が見える」と云ったそうなので、いつも目をこらして探しますが...
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