グーグルで経路確認をすると 交差点を左に曲がると出ますが 交差点の手前のお米やさんを左に曲がらないと ぐるぐる同じところを曲がることになり 永遠に駐車場に到着しないのでご注意を! かなり小道なので大きい車は難しいかも。 駐車場は10台位は停められました。 5/26に訪問しましたが 恐ろしい量のやぶ蚊が飛び交っており!!! 手で払っても払っても飛んでいる位の猛烈な量でした。 蚊よけ対策は充分にしないと大変なことになるところです。 とりあえずわんこたちと共に往復したところ ゆっくり歩いて1時間ちょっと位でした。 往きはかなりの登りの山道や階段がありましたが 全て舗装されているので問題なかったです。 雨の後とかは落ち葉が滑るかも。 雑草などが沢山生えているので広場とかには入らなかったです。 頂上?からの眺めは 気軽に15分位で登れた割には とても素晴らしい景色でよかったです。 道中蜘蛛の巣が凄かったり 蚊が飛び交って凄かったので それらを避ける枝などを手に持ってお散歩しました。 小さい子供さんのいるファミリー向けでは決してなく!!! 中高年大人向きの体力向上の為の 軽い登山コースという感じがしました。 森で薄暗いので 直射日光があまり当たらず 夏場でも日中日除けができてよいですが 夕方からは怖くて絶対無理なところです。 とにかく蚊が多かっ...
Read more遠賀川河口の丘陵にある山城。 天慶年間(938〜947年)に築城。築城主は鎮守府将軍の藤原秀郷を兄に持つ藤原藤次。 藤次は姓を山鹿氏に改め、代々の居城とします。 平安時代末期の当主・秀遠の代に平家に与し、壇之浦の戦いでは大多数の船軍を率い奮戦しますが敗北。戦後、所領は没収され没落。
後に入ってきた宇都宮氏が山鹿領を引き継ぎ、姓も山鹿に改姓。 室町時代には、同族の麻生氏の傘下にあり、豊臣秀吉の九州征伐後に廃城となりました。
現在は城山公園となっていて、遺構はあまり見られませんが、削平地は曲輪跡かと思われます。河口にある丘陵ということもあり、侵食崖が天然の切岸となっています。
本丸周辺の展望台からは、遠賀川河口から三里松原、宗像連峰が見渡せます。
城郭南部の三の丸跡には白山神社が祀られ、本丸下には、福岡藩主 黒田長成氏の書による石碑があります。
駐車場は、ヨットハーバーの近くにありますが、地元の方の車が停まっていて駐車困難でした。 こちらとは別に更に奥(南)に進むと、10台弱停められらる駐車場があります。
ps 藤原系山鹿氏の最後の当主...
Read moreJR折尾駅からバス、割と遠く20分位かかります 遠賀川河口のヨットハーバー隣にあります 山頂付近に石碑が立っていて山鹿兵藤次秀遠之城址と史蹟山鹿城址が並んであります 最初は10世紀半ば藤原俵藤太秀郷の弟・藤原藤次により築城され山鹿氏に改姓し代々受継ぎます その後平安時代末期12世紀末都落ちしてきた平氏が原田種直公の助力で大宰府に迎えられますが 大分の緒方惟義公に追い落とされた時 山鹿兵藤次秀遠公がこの城に平家一門を匿いますが此処も安全ではなく屋島へ そして平家物語の最後、壇ノ浦の戦いで山鹿公は先陣を任され奮戦しますが敗戦で落ち延びその子孫が忠臣蔵山鹿流陣太鼓の山鹿素行とか 城と領地は鎌倉幕府から派遣された宇都宮氏に引き継がれ その庶流麻生氏の子孫が元首相太郎氏とか 子孫の話は可也眉唾な気もしますが、遠賀川を遡った所に安徳天皇を...
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