義本王は沖縄初の王である天王の第三代目国王で、西暦1249年に即位した。
しかし即位した欲年から大飢饉・天変地異・疫病が起き、これは自分の不徳によるものであると王は次期王統の創始者である英祖を召して国政を代行させたところ、病気もやみが治まった。 義本主は在位11年で英祖に譲位し、その後のことは伝わっていないとされる。 その他にも、国が乱れたことに怒った群衆が王を火あぶりの刑にしようとしたため逃げたとする説などもあり、実際はどのように権限の委譲がなされたかはわかっていない。
暮は琉球建設の石工技術を活かし、仏教建築の影響を受けたと思われる家型の独特な外観をなす建造物であり、...
Read moreQuick little trail to the tomb, it's a very pretty area. It's a great stop on the way...
Read more2023.10.26 辺戸岬のある辺戸地区に位置し、王墓とされる史跡。道沿いにある石段から続く山道を少し歩くとたどり着ける。崖をくり抜いた墳墓かと思いきや、山中の僅かに平らな場所に設けられている。 源為朝の子であるとする舜天王の孫で、3代目の王様である義本王のものとされる。この伝説は少しまゆつばで、伊豆大島で討ち取られた源為朝が琉球にたどり着いたり、義本王の墓が各地に伝わる事など、これが王墓とは信じがたい。墳墓の形でも敷地を外壁で囲い中央に石を組み上げた石室がある。石も加工されていて1200年代のものとは思えない。 じゃあ誰のもの...
Read more