五重塔(国宝)平安時代の天暦5年(951年)建立。承平元年(931年)、その前年に亡くなった醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇子の代明親王が発願し、穏子皇太后の令旨で建立が計画された。しかし、承平7年(937年)の代明親王の死去などの影響で工事は停滞し、朱雀天皇が引き継ぐも、村上天皇の天暦5年(951年)、発願の20年後に完成した。総高38メートル。うち相輪部が12.8メートルで、全体の3割以上を占める。屋根の逓減率が大きく、塔身の立ちが低いため、後世の塔のような細長いプロポーションにはならない。創建以来修理を重ねたが、特に天正13年(1586年)の天正地震では一部の軒が垂れ下がるなどの甚大な被害を受けたため、豊臣秀吉の援助で慶長3年(1597年)に修理が完成している。1950年(昭和25年)のジェーン台風でも被害を受け、1960年(昭和35年)に修理が完成した。京都府下最古の木造建造物であり、京都に残る数少ない平安時代建築として貴重であると共に、初重内部の両界曼荼羅と真言八祖を表した壁画も平安絵画の遺品として重要であり、塔本体とは別に「絵画」とし...
Read more2017.05.26. 14:15来訪3度目 五重塔は 醍醐天皇が亡くなった平安時代中期の931年に発願され 936年に着工 途中中断が あり 発願から30年を経 951年に完成しました
塔の高さが約38m 屋根の上の相輪が約13mと 非常に長く とても安定感のある 美しい姿を しています 五重塔は創建以来 修理を重ねて来ましたが1585年の地震で 甚大な被害を受け 豊臣秀吉の援助により1597年に修復が完成しました 更には 1950年の台風でも被害を受け 10年の 歳月を経た1960年に修理が完了し 現在の姿が有ります
また塔内初重には 両界(金剛界と胎蔵界)曼荼羅と真言八祖を表した 平安時代に画かれた 壁画が有り 五重塔及び塔内壁画共に国宝に 指定されています しかしながら普段は壁画は残念ながら見るコトが出来ません
醍醐寺の広大な境内にあって 平安時代創建の 国宝五重塔と国宝金堂は...
Read more醍醐寺の五重塔(国宝)は、平安時代の天暦5年(951年)に建立されたもので、現存する京都最古の木造建築です。驚くべきことに、これまでの長い歴史の中で火災や戦災に一度も遭っておらず、創建当時のまま現存しているとされています。
特に室町時代の「応仁の乱」(1467–1477)は京都の多くの寺院や塔を焼失させましたが、醍醐寺の五重塔はその戦火を免れました。これは奇跡的とも言える保存状態で、塔の初層内部には密教絵画の源流とされる「両界曼荼羅」などが描かれており、通常は非公開ながら、特定の日には外側から拝観することができます。
このように、醍醐寺の五重塔は再建ではなく、創建当時の姿を今に伝える貴重な建築物です。歴史の荒波をくぐり抜けてきたその姿には、ただの建築以上の重みがありますね。こうした奇跡的な保存例は、日本建築史の中でも非常に稀です。 (AIに質問して得た答えから引用) (訪問...
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