この、理性院所有の御本尊は、80年に一度の周期で一般公開されるそうで、確か、2023年京都冬の旅の中の一つに“理性院御本尊一般公開”というのがあったと思うが、2023に80を足すと、次回は、2103年に公開予定かと思う。わたしは、今から30年以上前に、とある宗派にて、“有髪”(剃髪ではない)で出家して、それを東北の田舎から京都市山科区に引っ越してきたことを契機として当時わたしの師匠となってくれた某師に自ら願って“破門”してもらい、例えば、滋賀・比叡山延暦寺や奈良・東大寺、京都市南区・教王護国寺(東寺)などに行き、少しずつ仏教について学んだが、京都に来てつくづく思うのは、秘仏とか秘法とか、仏の本願は、広く衆生を救うということなのに、それを促すために作られた仏像や、遥かインドより紆余曲折を経て、パーリ語或いはサンスクリット語からわざわざ漢訳して、それを遣唐使などで艱難辛苦の上日本に招来したのに(諸経典)、後世に、各宗派同士の対立や、その時代時代の朝廷が、誤った修法を取り入れた結果が現代日本の現実であり、結果だと思うが、とにかく、秘仏や秘法のお蔭で、国を支えている本来の主役である国民から、仏の法が見えない、学べない、信仰できない現実となっている。これは、実に、釈迦牟尼如来、大日如来、毘盧遮那仏、薬師如来など様々な如来の本願からは離れているのではないか、と思う。最後に、掲載の写真の『太元帥王(大元帥明王)』について簡単に。また、これは、世界の数多くの人々が、簡単に目にすることのできる、Wikipediaからの引用である。…大元帥明王は、サンスクリット語でAtavakaといい、元々は、古代インド神話に於いては、“弱者を襲って喰らう悪鬼神”だったが、大日如来の“功徳”により、善神に変化(へんげ)した、ということだが、遡(さかのぼ)るに、明王の最高位は、不動明王のみである。大元帥明王の御真言は、ノウボウ タリツ タボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンザン オエンビ ソハカ であるが、我々一般の衆生は、広くこの世に弘通している不動明王の御真言、ノウマクサーマンダーバーサラダンセンダンマーカロシャーダーソワタヤウンタラタカンマンを唱えていれば、間違いないのである。何故ならば、大元帥法を唐から日本に招来したのは、小栗栖の常暁で、常暁は、承和7(840)、朝廷に大元帥法の実施を奏上し、仁寿元(851)大元帥法を毎年実施することを命じる太政官符が発令されて、ここに大元帥法が宮中に於いて毎年行われるようになったのだから、一般の衆生からは離れて無縁の法となったからである。また、2023年から80年後の2103年、日本の取り巻く状態は、確かに80年を経なければわからないことだが、少なくとも、わたしは絶対にこちら理性院所有の御本尊を拝むことができない。これもまた悲しい哉、わたしにとっては無縁の仏となってしまった。哀しさ一塩(ひとしお)ではあるが、このまま引き下がるわけにもゆかぬ、ただひたすら精進して、わたしはわたしの行学(修行と学問)を為(なさ)ねばならない。合掌 追記~掲載の写真の撮影日は、2025.06.15(日)、奇しくもこの日は、真言宗が定めた宗祖弘法大師空海(遍照金剛)の生誕日であり、お蔭をもって理性院の千躰地蔵菩薩に参拝ののち、第61代朱雀天皇醍醐御陵、第60代醍醐天皇後山科御陵にお参りさせていただいた。わたしにとっては、実に感慨深い一日だった。〈深謝〉 また、理性院へなるべく早く行こうとすれば、京阪バスで醍醐寺三法院前で降りて正門から入るより、北門(確か)という小さな門から入るのがよいが、その門にどうやって至るかは、是非、Google map...
Read more2024.4.5 一般公開はやっていません。総門と千体地蔵、そして桜の散り際を覗き見しました。🙇
2023/2/7 りしょういん。京の冬の旅で初の特別公開中 !...
Read more2023年3月10日に、京の冬の旅で今回初公開ということで訪れました。 拝観は、客殿から18歳にして描いた狩野探幽の障壁画、本堂の押上げ格天井、脇侍の毘沙門天と不動明王、本尊の大元師明王は厨子に収められていて、80年に一度の公開との事。ただ、一般公開ではなく檀家様等関係者への公開らしいです。どちらにしても一生に一度、見れる機会があるかどうかですね。 ご本尊は見られませんでしたが脇侍の毘沙門天と不動明王も見応えがあり参拝の出来て良かったです。 御朱印は受付で書置きのを頂きました。
理性院(りしょういん)は、平安時代に醍醐寺の僧・賢覚(けんがく)によって開かれた醍醐寺の塔頭のひとつで真言宗醍醐派の別格本山なります。また、三宝院、金剛王院、無量寿院、報恩院と共に「醍醐五門跡」のひとつに数えられます。 本堂には御本尊の太元師明王(たいげんすいみょうおう)が脇侍に毘沙門天と不動明王が安置されています。客殿の障壁には狩野探幽が10代の頃に描いたとされる障壁画があります。通常非公開の寺院になるの...
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