Mikage Shrine is located in the middle of Mt. Mikage right next to a part of Takano river that runs from east and the railroad of Eizan Railway. Eizan Yase station is just east of this location. According to a historical research this is the very origin of Kamo Shrines in Kyoto ( Kamigamo Shrine / Shimogamo Shrine ). It is believed that the great divine of Kamo descended to this place in ancient time ( During the time of Emperor Suizen in the late 6th centuary ) and later became the former Kamo jingu Shrine operated by Emperor Tenmu in the late 7th century. Even sone depiction of this shrine have been found in the story of Genji written by Murasaki Shikibu. The origin of its name Mikage came from the belief that this is a place where the sun light shines in. The shrine holds the oldest form of ceremonial festivity which involves making a procession. It is called Mikage Festival. This shrine is a real hidden treasure lies on a holy ground in the middle of a mountain far off the beaten path. The striking vivid color of red under the sunlight suddenly appears in sight when you approad the shrine.
叡山電鉄終点、八瀬駅から高野川を越えて南の山の中ある。高野川沿いに西へ続く山道の途中に赤い鳥居がある。この社地は、太古鴨の大神が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれている。毎年、賀茂祭(葵祭)に先だって、5月12日には、御蔭祭(御生神事)が当神社で行われる。当日は、神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾、太刀、弓、槍などの御神宝を捧げ持ち、社殿には阿礼(あれ)を掛ける。数多くの供奉者は葵桂をかざし、本宮を進発した行粧は、この社に到着する。社前において、午の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に遷御になる。途中、総社における路次祭、御本宮契の神事等が行われる。天武天皇6年(677)、山背國司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、当神社であろうとの説があり、この地は古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には数々の遺跡が存在する。山中森の中の神社。出雲神社の表示無し。往古の小野神社は現在の御蔭神社であるとする『京都府式内考証』
Just go along the railroad on its south toward Yase. You will come to the entrance of the shrine. It is such a hidden spot in the woods. The red striking out with leak of sunshine is very sacred.
( Trans-word+ : TGM...
Read more有り難いことに参拝者専用駐車場があります。
1758年夏の豪雨被害により現在地に 遷座されたと伝わります。
遷座以前からのタマヨリ姫の念が未だ漂っていそうな 魅惑的空間、下鴨神社境外摂社「御蔭神社」。
御蔭社で紀元前よりの祈祷を行う姫が、 本宮観音扉を開けるとまだ生きてそこに いらっしゃるのでは、 そんな雰囲気が境内に渦巻いています。
”御蔭”という語彙は幅広い意味合いを含み、 「神霊」や「神霊の写し・分霊」、 人には知られたくない「身の陰」、 「そっとしておいて」等。 一度タマヨリ姫に魅せられてしまうと、 離れようにも離れ難い。そんな方、少なくないと思います。
”白羽の矢”により子を授かり、 ここ御蔭神社(高野の森)に母子のみで 籠もったタマヨリ姫。 俗世、喧噪から逃れ、高野の森(五雲路森)で 姫はいったい何をしていたのでしょう。
ワケイカツチ神の御影を祀る。 唯それを祠に向かって 一心不乱に行っていたといいます。 神懸かったトランス状態の姫の姿を想像すると、 尊重せずにはいられません。
処女懐胎により生まれた子は、 父無きため名を付けられずにいました。 五色の雲が懸かる高野の森を 五雲路森(イヅモヂモリ)と呼んだ姫。 いつしか姫の子は、 五雲の御子(いづものみこ)と呼称されます。
この時点での姫とワケイカツチ神の関係はといえば、 姫の父(カモタケツミ)の姉(トヨタマ姫) の夫(ヒコホオデミ)の父(ワケイカツチ)なので、 「叔母婿の父」と表現できそうです。
糺の殿ウガヤフキアワセズ・カモヒトさんの命を受けたオオヤマクイさん。 宮に来るよう姫を説得します。
姫、貴方は竜宮の主、豊玉彦神の孫にあたる方。 高野の森に籠もってないで是非宮へ来なされ。
ウガヤ内侍のヤセ姫が、 ウガヤさんの長男イツセさんを産むなり罷ったことで 乳母役といずれ内局にというオファーでした。
宮へ上がり内局になった姫は、 稲飯命・イナイイさんを生み、 さらに内宮へと昇格。 継子の”五雲の御子・いづものみこ”は 三毛入野命・ミケイリさんと名がつきます。
そしていよいよウガヤ内宮となったタマヨリ姫は、 初代天皇となる カンヤマトイハワレヒコ・タケヒトさん(神武)を出産します。 夫ウガヤの祖父がワケイカツチ神ですので 内宮昇格時点で姫にとって ワケイカツチ神は義祖父となったわけです。
ワケイカツチ神を分土山=賀茂山=神山に 祭ったのが、叔母であるトヨタマ姫であることを 当然タマヨリ姫は知っており、 祭祀の継承を叔母トヨタマ姫より授かったものと思われます。
紀元前はトヨタマ姫による祭祀の場が、 神山麓ワケツチ宮であり、タマヨリ姫も継承。 のち賀茂別雷神社・上賀茂神社となり、 御生山麓に遷ったのが西暦678年のことといいます。 ワケイカツチ神は、稜威の神・いづのかみとも仰るようです。
当社を詣で、さらに姫の床しさを知ることになりました。 その姫の床しさ、ブレのなさに 心は惹...
Read moreWell-maintained temple hidden in the forest, near Ruriko-in. There is a long walk up to this temple that starts from a trail through a forest that separates a neighborhood from the more famous Ruriko-in. Worth checking out if you're in the area. A bit scary at night. There is no indication at the head of the path other than a sign indicating there's a shrine with an arrow that just points...
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