向日丘陵先端部の尾根上に築かれた全長94mを測る前方後方墳。築造は3世紀末から4世紀初頭で、乙訓地域では最も古い古墳と考えられています。発掘調査によると墳丘の斜面に貼られた葺石は、偏平なタイル状のもので、弥生時代の終わりごろの墓の「貼り石」によく似たもの。後方部の中央には竪穴式石室があり、大半が盗掘されていましたが、鉄製武器(銅鏃・刀・剣・鏃・鎗・矛・石突)や鉄製工具(斧・錐)、土師器の壷が出土しました。前方部の墳丘中央には、南北約2m、東西約4mの範囲で埴輪が樹立していた部分がありました。この埴輪は、円筒埴輪と壷型埴輪のセットで、弥生時代の墓に供えた土器を模して作られた古い形の埴輪であることが分かりました。このように、この元稲荷古墳は、墳形(古墳の形)や葺石の状態、出土した埴輪や土器などから、近畿地方における他の前期古墳の中でも、極めて特異な古い様相を示す重要な古墳であると考えられています。この他に、向日丘陵に築かれた前期の古墳には、五塚原古墳・寺戸大塚古墳があります。これらの古墳は、ほぼ同じ大きさをしています。この時代、古墳を築くのに何らかの規制や約束事があったものと考えられます。
すぐ隣に向日神社や科学館天文館などもありゆっくりぶらつけます。古墳上は自由に歩けますので、ちょうど保育園の園児たちがたくさん弁当を広げて食べ...
Read more勝山公園内にある。 墳丘長94mの前方後円墳、築造時期は3世紀末から4世紀初頭と推定。 向日丘陵古墳群を構成する古墳の1つ。 弥生時代の墓に供えた土器を模して作られた古い形の埴輪が見つかるなど、近畿地方における他の前期古墳の中でも、極めて特異な古い様相を示す重要な古墳であるとされている。(向日市観光協会サイトより)
もともと、向日丘地域は古くから人々が活動していた痕跡が見つかっている。 後期旧石器時代(1万~2万5千年前)には中海道遺跡、岸ノ下遺跡、殿長遺跡。縄文時代には南山遺跡、石田遺跡、東土川西遺跡。弥生時代には北山遺跡など。 この地域の歴史は古墳時代をはるかに超えて、石器時代から人々の活動拠点であったことがうかがえる。
また、古墳の形状が初期ヤマト王権の大王墓である箸墓古墳、西殿塚古墳と似ており、初期ヤマト...
Read more向日神社の北側に隣接しており、児童公園 を併設している。3世紀後半、乙訓地域最古とされる前方後方噴。全長が奈良・箸墓古墳...
Read more