このお寺は、総社城主であった秋元長朝が父の景朝の菩提を弔うために建立したものですが、秋元家の墓地には、大坂城で亡くなったはずの、淀君のお墓があることで知られています。 大坂夏の陣に参戦した折り、自陣に逃げ込んで来た美しい婦人を、長朝は密かに保護し、総社城に連れ帰って側室としました。その女性こそ淀君であったと伝えられているそうです。 長朝の墓標の近くに「心窓院殿華月芳永大姉」とあるのがそうです。 真実はともかく、この美しい戒名は淀君にふさわしく、華麗な女性を連想させます(^^) なお、輿に乗った淀君が木曽路を上州へ向かう途中、足もとに小さな一本の紅梅を見つけ、掘り取って総社まで持ち運び、これを元景寺の参道に植えたことから、この辺りは植野原と呼ばれるようになり、現在まで地名として残っているのだそうです。 ここに淀君のお墓があるというのは、荒唐無稽なお話のようですが、お寺には宝物として、彼女が乗ってきたと伝えられる、豊臣の五三の桐の家紋のある輿の扉が、大切に保存されて...
Read moreかつての総社城主・秋元長朝公が父の菩提を弔うために開基。大阪夏の陣に参戦した長朝公の陣屋に助けを求めて、この地に匿われたと言われる淀君の墓所や、前橋市最古とされる石仏(市指定文化財)などがある。勝山城跡の一部でもあり、薬医門が立派。本堂のわきを抜け、🅿️の奥にある墓地に行きながら、時期にはタケノコがワンサと採れそうな分厚い孟宗竹の竹藪が印象に残る。秋元氏の墓地に立つクスの大木は、あまり元気がないがどうしたんだろう。表には天明の浅間山大噴...
Read more元景寺は総社城主の秋元長朝が父の景朝の菩提供養するために、建てたお寺で曹洞宗です。境内の裏側の墓地に...
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