8/27/2023 古墳の頂に立つと、田んぼの果てに松本市街、その向こうにアルプスの絶景が見渡せる。 5世紀後半と推定される珍しい石積塚。この時代の筑摩郡には麻績を中心に帰化人社会が形成され、山辺も早くから帰化人が開発に携わっていた(例えば、馬を育てる牧場・「桐の牧」)。 石積式の墳墓は、高句麗に多い形式であることから、針塚も帰化人の墓と見るのが自然だが、案内板を読むと帰化人には全く触れられていない。 近くには8世紀に孝謙天皇から姓を賜わった帰化人の須々岐(すすき)氏が創建した須々岐水(すすきがわ)神社があり、当然須々岐氏...
Read more当時と変わらなそうな環境下に残された古墳。という印象でほっこりします。 駐車場あります。
民間の間の細道を抜けて…田んぼ道を通りたどり着きました。 人気は全くなく県をあげて宣伝している風でもないですが、きちんと整備された古墳でした。 大々的に残した古墳も良いですが、地域住民が今も営みを続ける中に古墳も共存していて、古墳に捧げた先人の思いが引き継がれているように感じてほっこりしました。
脱線しますが、古墳の前の田んぼにあるかかし?の役割のすごいやつがいます! まるで鷹が獲物を狙っているかのようで、アクロバットな動...
Read more北信濃に多く作られた積石塚が中信濃で見られるとは意外でした。しかも周溝が巡っているとは珍しい。たしか長野市篠ノ井の川柳将軍塚古墳も堀があったと記憶している。 この史跡公園は分かりづらい場所にあり地元の方でも知らない方は多いと思う。 出土品は松本市考古館に展示されているので、ぜひこ...
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