善念房は、俗姓を三浦義重といい、万夫不当の武士であったという。建保4年(1216)8月、文武に励む18歳の青年三浦義重が、戦さの神で知られる鹿島神宮へ願をかけに行ったその帰りのことであった。ちょうど桜川にさしかかった時、麻の粗末な墨染めの衣を着た一人の出家が土手の上にたたずんでいた。川を渡ることができず因っていたのである。それと察した青年義重は、さっそく、その屈強な体に出家を背負い、無事対岸に渡すことができた。感激し感謝の意を表する出家の前で、義重は何か心が晴れない様子である。尋ねる出家に義重はこう答えた。「実は今、大いに悩んでいます。父の教えで文武に励み、今も鹿島神宮へ願をかけに行ったところですが、強くなるということはどういうことなのですか。結局、勢力の争いでしかないのではありませんか」と。この粗衣の出家が親鸞聖人であった。ここで聖人がどう答え、導いたのかは明らかではないが、義重は親鸞聖人に魅かれ弟子となって...
Read more門を入ろうとしたところ、住職さんの方から声がかかり、本堂に上がって行って下さいと促されお参りしました。 本堂に入ると別の住職さんからもお声をかけていただき、色々とお話させていただきました。 毎年2月22日に公開される「聖徳太子像」は公開時間が当初午前11時から正午位までの1時間程だったが来年は夕方まで公開される予定とのこと。 因みにこの御像を当寺にもたらした水戸光圀は正式に2度この寺を訪れているとのことでそれ...
Read more親鸞聖人面授の直弟子である善念房が開いたお寺で、歴史のある立派なお寺です。
境内は非常に綺麗で、近くにある池には白鳥が羽を休めていました。 ほとんど何も知らない状態で初めての参拝で少し緊張しましたが、そういう自分にもわかりやすく丁寧に教えて頂きました。 大変お忙しい中、親切にして...
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