本当の人類の起源を知らせる 証跡がある神社です。
今から720万年前、
地球人類の起源である始祖が つがいの「零迦児(むかご)」として 降ろされたのが真名井原です。
後に「伊邪那岐」と「伊邪那美」と 名乗るつがいの零迦児(むかご)が 地球に一番最初に降臨した人類だと いうことです。
地球の支配者である 「アヌンナキ」の一族が
「二ビル」という惑星から 宇宙船で中近東に降り立ったのが、
44万5,000年前だといわれていますから それよりも、もっと古い時代ですね。
最初の人類であるこの「双子の魂」は、 宇宙の創造主からの分け御霊であり、
二人は月を経由して 地球にやってきたそうです。
アニメ「君の名は。」でも使われた 「ツインレイ」ですね。
この二人が 純粋な「日本人の始祖」になるのです。
ちなみに真名井原とは 日本列島を意味しています。
この神社では、 「零迦児(むかご)」の発祥(誕生)地であることを 石に刻んで我々に伝えています。
「瓢訓・瓢也・比佐古之社・吉佐宮(与謝宮)」 (ひさごとよむ・ひさごなり・ひさごのやしろ・よさみや)
「零迦児(むかご)」を 「瓢(ひさご)」と呼んでいます。
地球に到着すると、 そのまま風にふかれながらふらふらと漂い、 この土地にふわりと舞い降りたそうです。
実際には、 与謝海と呼ばれる 舞鶴湾内で誕生したと思われます。
二人は「匏(ひさご)」、つまり 「瓢箪(ひょうたん)」に似た 「繭(まゆ)」のような姿の生物として 成長したようです。
それから何度か脱皮を繰り返しました。
「瓢箪から駒」の語源は、 このあたりに由来しているそうです。
海に浮かんだつがいの「むかご」が 湾外へ流されないように、
数羽のコウノトリが羽ばたいて見守り、 誘導した地が、 舞鶴だと言われています。
赤ちゃんができることを 「コウノトリが運んでくる」というのは、 これに基づいているのです。
丹後半島には 「コウノトリ」を神様として 祀っている神社もあります。
「久久比神社」という名前です。
全国で唯一、 「コウノトリ」にゆかりのある神社です。
こういう神社が昔からあるということが 有力な状況証拠になるのです。
「コウノトリ」の話が まったくのデタラメであれば、 こういう神社はそもそも存在しないのです。
その後、 天橋立からちょっと離れた「冠島」で、 この「零迦児(むかご)」は 完全な人間の姿になったそうです。
人類は猿から進化したものという ダーゥインの進化論は 決して真実ではありません。
最終的に「零迦児の入った巣」は、 舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、
山羊の乳を与えられながら、 洞窟の中で小動物たちに見守られて 育ったそうです。
成人したイザナギ・イザナミは結ばれ、 男女規則正しく38人のお子を産みました。
その長男と長女が結ばれて 「皇(すめらぎ)」を名乗り、
他の18組(36人)の夫婦が 皇を補佐していく役割が定められました。
長男の皇を「大丹生家(おにゅうけ)」、 他の18組の夫婦を「丹生家(にゅうけ)十八家」と 呼んでいます。
日本の各地にある 「丹生」が含まれる地名は 丹生家と関係があります。
これが日本の天皇制の 原型なのです。
つまり、本当の最初の天皇は 神武ではなく、
伊邪那岐天皇(のちにアマテル天皇に改名) だったのです。
神武勢力に忠実だった天武天皇が 神武が日本で初めての天皇であると偽り、
古事記や日本書紀を編纂させました。
ちなみに古事記とは、
神代文字で書かれた記録を稗田阿礼が読み、 大野安万侶が漢字に改めて 編纂されたものです。
宮崎県高千穂で見つかった碑文には、 「ヒエタノアレモコロサレキ」と 書かれていました。
つまり古事記の編纂後、 稗田阿礼は殺されているのです。
神武勢力による イザナギの真実の歴史を消すためです。
福井県の「三十八社町」、 滋賀県石山寺の「三十八社」など、 38という数字には深い意味があります。
38人のお子が集う場所 それが「三八子(みやこ)」
すなわち「都」と言ったのです。
そしてこの38人の子孫が、 和多志たちなのです・
社殿の裏にある磐座では、 豊受大神と天照大神が 祀られています。
伊勢の外宮にお祀りされている 衣食住・産業の神である豊受大神様は、
神代(かみよ)と呼ばれるはるか昔、 この真名井原の地でお祀りされていました。
第10代 崇神天皇の時代(紀元前59年)から、 天照大神様と豊受大神様を 「吉佐宮」という宮号で4年間 一緒にお祀りされています。
その後、天照大神様は伊勢にお遷りになり、 豊受大神様も 第21代...
Read more【基本情報】
正式名称:眞名井神社(真名井神社)
所在地:京都府宮津市大垣(籠神社の奥宮)
主祭神:
天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天照大神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
※「造化三神(ぞうかさんしん)」が主祭神であることが、神社の特異性・古代性を物語ります。
【歴史・古史古伝との関連】
◾ 『古事記』『日本書紀』以前の信仰
この地は、神代以前からの祭祀場であり、記紀に編纂される以前から神々への祈りが捧げられていたと伝えられています。
◾ 籠神社の奥宮としての役割
籠神社(表参道にある)は天橋立の玄関口にあり、丹後一宮として名高い。
真名井神社はその奥宮にして元伊勢伝承のひとつ。つまり、天照大神が伊勢に遷座する前に鎮座していた場所の一つとされます。
◾ 竹内文書・宮下文書との親和性
古史古伝(竹内文書・宮下文書)では、この地を太古の天皇たちの祭祀の中心地と見なし、「真名井水」や「天之真名井」は宇宙と地球をつなぐ聖なる泉とされます。
特に「天之御中主大神」を祀る点は、宇宙神信仰の影響が強く、古代神道の原型に近いとも言われます。
【御神体・聖地としての特徴】
◾ 天之真名井(あめのまない)
神社の境内奥にある湧水の霊泉。
天照大神がこの水を使って祈りを捧げたとも言われ、「魂を洗い、清める水」として今も信仰されています。
この水は現在も参拝者に開かれており、氣の高い波動水として持ち帰る方も多い。
◾ 古代祭祀の跡
立ち入り禁止の奥には磐座(いわくら)があり、神の降臨する場とされます。
神社そのものが「社殿」ではなく「場」や「気」を感じる場所であり、神籬(ひもろぎ)信仰の形式を色濃く残しています。
【スピリチュアルな意味と体験談】
◾ 強い浄化と覚醒の場
参拝者の多くが「体がビリビリした」「心の奥が揺さぶられた」と証言。
特に敏感な方は、神域に入るだけで涙が出る、ビジョンが見える、意識が変わるなどの体験を報告。
◾ 高次元との接続
ここは「宇宙神」「創造主」「魂のルーツ」とつながる場所とされ、チャネラーや霊的ワーカーにも人気。
明確な願いを持っていくと、「答え」や「道筋」を受け取るケースが多い。
◾...
Read more眞名井神社は、元伊勢籠神社のホームページや、インターネットにたくさんの情報が寄せられているほどの、 有名な神社のようです。 まだ、お社がない、縄文時代の頃からか、「むすひの祭場」として、この祭場地を 「眞名井原」と祀られていたらしいです。
本殿には豊受大御神様が鎮座されていて、社の造りが外宮造りでした。
伊勢神宮の外宮造りと基本同じでした。 元伊勢籠神社の本殿は内宮造りでした。
入口の眞名井水で、手口を清められてから 階段の手前には、 狛犬の代わり「狛龍」が左右に構えられて、そこから最初の鳥居をくぐれば、左手に高さ60センチほどの、石が鎮座されています。 人の顔にも見えるその石は、参拝者が拝めていらっしゃるのを拝見します。
登り階段を頂上まで、登る途中、 「これより先、撮影禁止」の看板がありますので、撮影はその看板までです。
頂上まで登り、鳥居をくぐれば、拝殿本社が真正面にあります。 その奥に、今は囲いが施されて立ち入れませんが、「眞名井原」が厳かにあります。 間違いなく、そこがもっとも神さまのエネルギーが、爆発的に上がっています。 祭妃場は、数体のエネルギーが包むように存在しているのを、見えませんが感じます。
じっとしていなく、躍動感溢れ、強い光ではなく、ほのかな光を優しく発しているようです。 祭妃場に向かっての拝所2ヶ所、 左手にある「神さまのような岩」も。
社務所は、日曜日のみ(詳しくは正式ホームページご確認を)開いています。
眞名井神社の社務所限定の御守りが、いくつかございました。 元伊勢籠神社にはないのを確認しました。
御朱印は、元伊勢籠神社の社務所にて記帳できますが、眞名井神社のみの御朱印はなく、 ・籠神社の御朱印(300円) ・籠神社と眞名井神社両社の御朱印(500円) が選べるようになっていました。
眞名井神社は、観光目的で行くのは、オススメしません。
この文章も私の個人的な感想が含まれています。ご了承ください。
目に見えない神さまのお力を助けて戴きたいと思う気持ちの方や、 神さまに感謝の気持ちが強い方などに、オススメしたい...
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