丹下・善照寺の3つの砦で鳴海城を包囲するために織田信長が扇川と手越川の合流点に築いた砦。付け城。平城。
1560年、桶狭間の戦いの前に信長は、梶川平左衛門以下260名の武士を配置しました。規模は長さ80間(144㍍)、幅50間(90㍍)とも言われ、織田軍勢は熱田神宮から善照寺砦、そしてこの中島砦から桶狭間へと進みました。(一説によると、信長がこの砦にいた時に、今川義元がおけはざま山で休憩しているとの一報が入ったとのことです。また、信長に見放されていた前田利家と会った場所もここのようです。)ですからこの砦は、とても重要な場所です。 砦が廃された跡は梶川の五輪塔が残されていましたが、今はなく昭和2年「中島砦址」の碑が建てられました。近くに古道の車路橋があります。
(感想)2021/7/23と、2023/12/8に訪れました。二級河川手越川の前にあります。砦跡ですがここら辺一帯は全くの平地です。大河ドラマ「麒麟がくる」21話「決戦!桶狭間」の1シーンでは山地のようでしたが、全くの低地です。宅地開発で形状も変わったのでしょうか?個人宅だからか[信長攻路]のスポットでもありません。 ここまでの道路がとても狭いです。鳴海駅から歩いても近いです。
空き地で、家の方のご好意で自由に入れます。所有者さま、ありがとうございます。(奥のお宅が所有者様なのかな?)遺構は残ってはいませんが、このような形でも信長の史跡が...
Read more2021年9月上旬に初めて行きました。
近くに用事あり、早く着いたこともあり、用事先に車を停め、歩いてこちらに
webで調べたら今川義元に寝返った鳴海城の付城として築いた3砦 (丹下砦、善照寺砦、中島砦)の一つで鳴海城を孤立させ、今川勢が鳴海城に食料等を補給するのを断つのが役目であったとこと。
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Read more中嶋砦は、織田信長が今川義元に対抗して鳴海城を包囲するために築いた三砦(丹下砦、善照寺砦と共に)の一つで、1560年の桶狭間の戦いにおける重要な前線拠点でした。扇川と手越川の合流点に位置し、当時は鳴海城・大高城間の連絡遮断を目的に築かれました。砦には梶川高秀が守将として配置され、信長も戦いの際に中嶋砦まで移動し、そこから義元本陣への奇襲を決断したと伝わります。現在、砦跡は宅地化されていますが、個人宅の庭(ご厚意で入ることができます)に「中島城址」...
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