令和5年5月5日 (説明案内看板より)
メグロの聖地 那須烏山 1924年(大正13年)、村田延治と鈴木高治によって、現東京都品川区目黒の不動前駅付近にて創業した目黒製作所(メグロ)。 創業から4年後の1928年(昭和3年)には、三輪車用の変速機を初めて国産化し、それが軌道に乗ると1937年(昭和12年) に初の単気筒500ccのオートバイ 「メグロ号Z97型] 発売。好業績を残した。 その後、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)には空襲を逃れるため、東京の大崎から那須烏山に工場を疎開することになった。 目黒製作所は、第二次世界大戦の激化とともにオートバイ事業を中断。航空機の部品を製作した。 戦後、国内で自動車関連の生産が再開されると、鳥山工場では主に「メグロ」ブランドの変速機を製造した。 復興に伴うオートバイ市場の拡大を受け、烏山工場では戦前に造っていた500ccモデルの再生産を開始。 1950年(昭和25年)に250ccのジュニア号が発売されると大ヒットし、1958年(昭和33年)頃まで業績の拡大が続いた。 東京大空襲で目黒の本社工場が全焼するも、終戦の翌年に生産を再開し、会社を再び軌道に乗せることができたのは、那須烏山の工場があったからといえる。 那須烏山は「メグロ」の城下町として活況を呈し、当時実に市の1/3の人が目黒製作所に関わっていたとされる。 昭和30年代前半に入ると、国内の競合メーカーが新機軸の小型オートバイを相次いで発売、国内市場に変化が訪れた。 この時流に対応するため戦前から続く「大排気量の名門」目黒製作所は、1960年(昭和35年)に当時カワサキブランドのオートバイを製造していた川崎航空機工業と業務提携。 この提携により、250ccクラス以上は目黒製作所が、50~125ccクラスは川崎航空機工業が生産を担うこととなった。 目黒製作所はその後、川崎航空機工業と1964年(昭和39年)をもって一体化。 創業から40年以上続いた目黒製作所の歴史は幕を下ろすこととなった。 目黒製作所はその歴史を閉じたが、「メグロ」はその生産台数の多さと、過剰品質とまで言われた耐久性から、一定数が全国各地に残った。 そして、昭和50年代半ばからクラシックバイクを趣味とする愛好家が現れ始めると、「メグロ」の人気は再燃。全国で修理保存されるブランドとなった。 那須烏山では今でも当時の目黒製作所を知る市民が多数存在し、その優れた技術を引き継ぐ工作所なども現存している。 2020年(令和2年)11月、カワサキが「メグロ」ブランドをリバイバルし、MEGURO K3を発表した。 「メグロ」の歴史と高い技術を継承するカワサキは、国内最古級のオートバイメーカーというアイデンティティを持っている。 「メグロ」発祥から90余年の間、カワサキのなかで脈々と受け継がれてきたオートバイへの情熱が、MEGURO K3の発売へとつながったのである。 本看板は、カワサキがMEGURO K3を発売したときに製作し、実際にプロモーションで利用された実物です。 製作したのは、日本のサインペインター界のパイオニアとして数々の有名ブランドの店舗サインやグラフィックを手がけてきたNuts Art Works(ナッツアートワークス)。 全て手で描かれています。この度、「メグロの聖地 那須烏山」プロジェクトに賛同いただき、カワサキモータース株式会社様より寄贈いただきました。心より感謝申し上げます。
寄贈 2022年5月28日...
Read more【メグロの聖地 那須烏山】 1924年(大正13年)、村田延治と鈴木高治によって、現・東京都品川区(目黒の不動前駅付近)にて創業した目黒製作所(メグロ)。創業から4年後の1928年(昭和3年)には、三輪車用の変速機を初めて国産化し、それが軌道に乗ると1937年(昭和12年)に初の単気筒500ccのオートバイ「メグロ号Z97型」を発売。好業績を残した。 その後、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)には空襲を逃れるため、東京の大崎から那須烏山に工場を疎開することになった。目黒製作所は、第二次世界大戦の激化とともにオートバイ事業を中断。航空機の部品を製作した。 戦後、国内で自動車関連の生産が再開されると、烏山工場では主に「メグロ」ブランドの変速機を製造した。 復興に伴うオートバイ市場の拡大を受け、鳥山工場では戦前に造っていた500ccモデルの再生産を開始。1950年(昭和25年)に250Ccのジュニア号が発売されると大ヒットし、1958年(昭和33年)頃まで業績の拡大が続いた。 東京大空襲で目黒の本社工場が全焼するも、終戦の翌年に生産を再開し、会社を再び軌道に乗せることができたのは、那須鳥山の工場があったからといえる。那須烏山は「メグロ」の城下町として活況を呈し、当時実に市の1/3の人が目黒製作所に関わっていたとされる。 昭和30年代前半に入ると、国内の競合メーカーが新機軸の小型オートバイを相次いで発売、国内市場に変化が訪れた。この時流に対応するため戦前から続く「大排気量の名門」目黒製作所は、1960年(昭和35年)に当時カワサキブランドのオートバイを製造していた川崎航空機工業と業務提携。この提携により、250ccクラス以上は目黒製作所が、50~125ccクラスは川崎航空機工業が生産を担うこととなった。 目黒製作所はその後、川崎航空機工業と1964年(昭和39年)をもって一体化。創業から40年以上続いた目黒製作所の歴史は幕を下ろすこととなった。 目黒製作所はその歴史を閉じたが、「メグロ」はその生産台数の多さと、過剰品質とまで言われた耐久性から、一定数が全国各地に残った。 そして、昭和50年代半ばからクラシックバイクを趣味とする愛好家が現れ始めると、「メグロ」の人気は再燃。全国で修理保存されるブランドとなった。 那須烏山では今でも当時の目黒製作所を知る市民が多数存在し、その優れた技術を引き継ぐ工作所なども現存している。 2020年(令和2年)11月、カワサキが「メグロ」ブランドをリバイバルし、MEGURO K3を発表した。 「メグロ」の歴史と高い技術を継承するカワサキは、国内最古級のオートバイメーカーというアイデンティティを持っている。 「メグロ」発祥から90余年の間、カワサキのなかで脈々と受け継がれてきたオートバイへの情熱が、MEGURO K3の発売へとつながったのである。 本看板は、カワサキがMEGURO K3を発売したときに製作し、実際にプロモーションで利用された実物です。 製作したのは、日本のサインペインター界のパイオニアとして数々の有名ブランドの店舗サインやグラフィックを手がけてきたNuts Art Works...
Read more聖地と言うが、地元民としては休みの度に騒音撒き散らすバイクがビュンビュン出入りして、休日に遊びに行く孫達が心配。 町おこしとは聞いているが、バイクが集まる事でどの程度経済効果があるのかは謎である。 バイクに詳しい息子が言うには、町にはバイク屋らしいバイク屋はニ店しかないらしい。その一店がこの聖地化を促進している人がやっている店らしいが、見てくれるバイクは選ぶらしい。バイクの聖地活性化する気概があるなら、どんなバイクでも整備してバイクを身近な物に感じられる様、町のバイク人口を増やすくらいの気持ちでやって欲しいところ。 このクラスの町おこしは何処でもやっている。ここから何を目指すのか、ビジョンもハッキリしない。 地元...
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