岩出山城(いわでやまじょう)は、陸奥国(のち陸前国)玉造郡(現・宮城県大崎市)にあった日本の城(一国一城令ののち要害)。伊達氏以前は「岩手沢城」と呼ばれており、古くは足利氏一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。
1590年(天正18年)小田原城攻略後の豊臣秀吉は、奥州仕置を行う。 これにより旧葛西・大崎領12郡は木村吉清・清久父子の領となるが、検地・刀狩りなどへの不満から一揆が発生する(葛西大崎一揆)。 この一揆への関与を疑われた伊達政宗は秀吉により無罪とされるものの、翌1591年(天正19年)に、米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなる。 移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと言われる。 尚この時に「岩手沢」から「岩出山」へと改められた。...
Read more岩出山城は江合川と蛭沢川に囲まれた丘陵の先端部の城山に築かれている。標高108mで麓からの比高は50m程度である。駐車場が完備しており、山頂近くまで車で上がることができる。現在は公園として整備されている。
岩出山城は明治の廃城令まで存在した城だが、公園化などで改変著しく残念ながら城跡らしさはほぼ残っていない。 前知識なしに訪問すれば城跡だとわからないのではないだろうか。 本丸ではわずかに「政宗ここに12年」の看板があるくらいで他に目に付くのは西の腰郭にあるかつて青葉城にあったという伊達政宗像くらいだろか。遺構の案内板も皆無である。 隅々まで散策すれば堀切、空堀、虎口などがあるようだが、訪問当日が大雨だったため本丸、二の丸周辺部の散策しかできなかった。
岩出山城は岩手沢城と呼ばれ大崎家家臣氏家氏の城であった。1590年の奥州仕置後の改易された葛西氏・大崎氏家臣らによる反乱後にこの地域は米沢から移封された伊達政宗の領地となった。政宗は岩出山城と名を変え、仙台城に移るまでの12年間ここを居城とした。 江戸時代には岩出山要害として岩出...
Read more有備館側の駐車場から見ると、 東側が断崖なのが分かります。 城跡の麓から登り、段差を実感しました。
城跡駐車場の曲輪から登るとすぐ本丸に至ります。南の虎口を通り、銅像のある曲輪に出ます。北側の物見台や南側の橋は、大雨で通行禁止でした。
本丸西側の二の丸がぐるりとあり、北側の橋を渡って北西側に三の丸と思われる曲輪が広がっています。
馬蹄型に曲輪が展開し、低い中央に舘跡で、いまは学校があります。一つ一つの曲輪は広く削平されており、居城に相応しい巨大な城跡になっていました。
三の丸北側に土塁、堀切あり、徒歩コースがあり設定されているようでした。 西側はヤブ化しており全容は掴めませんが、盛り上が...
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