「龍?竜?どっち?」
なかなか立派な造りの資料館です。 市内で発掘された縄文遺跡から中世の下川辺〜土岐氏支配、江戸時代の仙台伊達藩から現代の佐貫ニュータウンまでの、龍ケ崎の歴史がかなりのボリュームで展示・解説されています。 また、外には移築された古民家や商家、関鉄竜ヶ崎線で活躍したSLも展示されています。
そんな龍ケ崎市の地元民常識のトリビアを2つご紹介します。
1.牛久沼は龍ケ崎市!
名産のウナギやバス釣り、河童伝説で(一部では)有名な牛久沼、実は名前と異なりその全ては龍ケ崎市なんです。
江戸時代、爆発的に人口が増加していた江戸の街の食糧難を解消すべく、各地で新田開発が行われる中、牛久沼についても干拓事業がありました。
事業を推めたのは地元龍ケ崎の豪農桜井庄兵衛です。 彼は36年もの間、牛久沼の干拓に従事しますが、湖面が低く水抜けが非常に悪かったため、あえなく挫折。
庄兵衛はこの事業のために幕府から多額の借金をしましたが、本人はとても返せず、仕方なく龍ケ崎の人々が庄兵衛に替わって返済しました。 そのため、今でも牛久沼は龍ケ崎市の市域なんだそうです。
また、龍ケ崎市と牛久市にはどちらにも「庄兵衛新田」という町名がありますが、これは庄兵衛が干拓した一部がそのまま地名になったそうです。
2.龍ケ崎?竜ヶ崎?
正式な市の名称は「龍ケ崎」です。 小学校も中学校も「龍ケ崎市立〇〇小(中)学校」です。 ところが高校になると「茨城県立竜ヶ崎〇〇高校」と、「龍」ではなく「竜」と漢字が変わります。また、「ケ」が小さいです。 これなぜに?
市は「龍ケ崎」として国に届け出たのですが、県は「常用漢字しか使わない」というルールがあったため、当時非常用漢字だった「龍」が使えず「竜」の文字を使ったそうです(尚、現在は「龍」も常用漢字になってます)。
そんな訳で県立高校に加え、駅名なども「竜」ヶ崎となっているほか、各種施設は「龍」と「竜」がまちまちであり、まさに組んず解れつの大混戦となっています(ちなみに「ケ」の大小については見解がありませんでした)。
これは坂本龍馬問題と言い(いえ、私が勝手に命名、問題化しました)、世の中でよく混同されていますね。 ちなみにこちらの問題は、司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」で、フィクションとして描くために「坂本竜馬」と敢えて本名とは異なる漢字を充てました。
もしや「竜ヶ崎市」もフィクション?...
Read more大正時代のSLがあるよー、という軽いノリで訪問を決めた龍ケ崎市歴史民俗資料館。思いもかけない実演を見られたので、⭐️一つ追加で(笑)
目当てのSLは、関東鉄道竜ヶ崎線の4号蒸気機関車。保存状態も良く、運転席に乗れるのも◎ ...
Read more3月17日に行きまして、終わっている筈のはかり展がまだやってました! 算盤は中国が発明した、あまり使えない手動計算機、レトロな電卓、昔から現代の色んな秤など自分が仕事で一部使っているのでとても勉強になり面白かったです。
八坂神社の撞舞のジオラマや当時の衣装もあり、安価で軽量な大衆車のスバル360、竜ヶ崎市が龍の形であり、多宝塔の複製の立派な宝珠、縄文時代(竪穴式住居)の暮らし、昔の道具の炭火アイロン、箱階段、レトロなポスターと赤電話など見て楽しめました。
今回のテーマ展は、ここに貯蔵されている松平諦之助が持っていた神田明神祭礼絵巻を元に、神田祭で使われる大鯰が復元されたとの事でとても感心しまして、神田祭に行ってみたいと思いました! 入館無料でこれだけの資料が見れるのは素晴らしい! ホームページを見て興味あるイベントがあったら...
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