武蔵国一宮 氷川神社ときたら、大宮にあるあそこですが、このあたりは、広範囲に「氷川神社」が散在していまして、こちらは武蔵国一宮 氷川"女體"神社と申して、奇稲田姫尊(くしなだひめのみこと)などを祀っております。社名にこだわることなく、男女問わずどなたでもお参りできます。神職の権禰宜さまが常駐してらっしゃって、んじゃ、禰宜様は,と申しますと、同じさいたま市の、この神社のずっと東の浦和に本太(もとぶと)の町があり、そこにある本太氷川神社がご兼務されている関係で、親分宮司さまは、本太さまにいらっしゃるとゆう次第です【本太の氷川さまについては 本太氷川神社 をご参照ください】。この女體さまは決して珍しい社名ではなく、近隣では神奈川県の川崎市にも2社ありますし、各地にチラホラ散見されます。この宮本(緑区)の女體さまは、昭和の中頃までは田園の真ん中の小高い小丘の森の中に建つ鎮守さまの象徴的な神社でしたが、宅地の波が進捗してきて、現在ではすっかり住宅地の中のお社になっています。ここまで来る交通がやや不便で、クルマであれば東北自動車道の浦和ICを降りてR463を東進します。途中でいまだに有料(普150円)の新見沼大橋を渡ったら、坂下って最初の信号機を北へ右折、突き当りの丁字路を右折、その先に道路幅員の異なる複雑な交差の信号がありますから、右斜め前に小橋(神明橋)がある方へ入り、橋を渡って左へ曲がったところの右側に見沼氷川公園の駐車場がありますから、ここへ停めさせてもらいましょう。この公園そのものに、氷川女體神社の境内が喰い込んでいて、末社の宮本弁天さまも鎮座されてますので、もう"看做し境内"ですね(境内地に後から公園が広がったとするのが自然)。ただし、クルマのお祓いをされる方は、先ほどの神明橋方向には進まずに、道なりに進んでいきますと、女體さまの階段参道境内を横断するかたちで境内東側へ廻り込めますので、クレイの道ですが、境内まで上がっていくことは可能です。この神明橋は、正面参道に架かる朱塗り擬宝珠欄干の、その名も氷川女體橋などとともに、見沼代用水の水渠に渡されている橋で、宅地化の波が境内を包んだと申しても、この用水から対岸一面は、芝川を挟んでいまだに水田が広がる耕田地帯となっています。女體さまの本殿は氷川女體橋を通じて、末社の宮本社と向き合って相対している配置を取り、石階段を上がって正面に本殿が北を背に南面して建てられています。授与所は本殿向かって左手方向にあり、夕方4時には閉まっちゃうことで有名なところです。そもそもが鬱蒼とした木立の中で、境内は24時間開放で昼でも薄暗いので、とりわけ陽の短い冬場や雨曇りの日などは、巫女さん(むかし巫女さんだった方)も権禰宜さまも...
Read more昔は大宮氷川神社と同格だったという由緒ある神社である。それは、参道を登る途中の斜面にある巨樹で想像がつく。これだけすくすく育った巨木はこの辺では見たことがない。勿論、大宮氷川神社にもこんな巨樹はない。そしてこの巨樹を下から眺めていると、下界から別の世界へいなざう力のようなものを感じる。
ただ、残念なのは参道を登るのに夢中になっていると気が付かないようなところにある点だ。だからなのか、この樹を巨樹リストで取りあげてるサイトを今まで見たことがない。取り上げているとしたら、大抵この神社の社務所のところにあるタブノキの巨樹の方だ。
しかし、誇らなず、飾らず、何時行っても、ひっそりとしたたずんでいる。そこがこの神社と調和して響き合っていい感じだ。
こういう巨樹をみていつも思うのは、神社ができたので樹を植えて大事に育てたら巨大化したのではなく、最初に巨樹があって、その自然の神聖さに感動して、神社を建てた方が圧倒的に多いのではないかということ。なぜなら、神道は自然を信仰しそこに神が宿るという理念から来ているからだ。
いずれにしても、日本は森林大国で且つ元来は漁業大国であったのだから、神道の精神を大切にして、国土の森林を神社の鎮守の森のように大切にしてこそ、日本の未来があるように思えてならない。
スギ花粉の問題にしても、戦後自然林や原生林を伐採してスギやヒノキの人工針葉樹林に植え替えたことが根本的な原因であり、それによって山の腐葉土がなくなったため山の保水力が失われ、水害が起こりやすくなり、川は細り、川や湧水の栄養分もなくなって、漁獲量が減少し続けている。いくら、下水や汚水の普及率をあげて表面的に水をきれいにしてもそれだけでは本質的な解決にはならないとそ...
Read moreかつて広大な社領があったと思われるが、今は寸断され、わずかに残った土地に小さな社殿が建っています。 昔は三つに分かれた巨大な沼に臨む台地にあったのでしょう、急峻な古い石段を上ると鳥居があります。新しく人手が入っておらず、趣きがあります。 近所の方がよく参拝に訪れており、大宮の氷川本宮とは正反対の佇まいです。
南へ小川を渡ると公園。熊蜂のやってくる藤棚や、カルガモが遊びシャガの咲く水辺が、わずかながら残っています。 昔の竜神の祭場跡を中心に、こちらも雰囲気があります。 この公園や、付近に点在する緑地を神域として大きな社があったのでしょう。 しかし現在、その面影を探すのは難しいです。
ここはかつて浦和と呼ばれたように、海のほとりでした。縄文海進により東京湾は深く抉れ、ここまで海は続いていました。 やがて気温が下り海面が低下したとき、(埋め立てられる前の)印旛沼にも匹敵する広大な水面が残り、三つに分かれた水域を称して三沼と呼ばれたようです。 女体神社はその立地から見て、沼への突端と出た要の位置だったかと思われます。竜神は水神ですから、元々はそのために社が建立されたのでしょう。
463号線を中心に、付近を歩くとわかりますが、三沼(見沼)のあった辺りは土地が低く、周囲を台地が囲んでいます。埋め立てられても10mにも達する崖も残り、高低差はかなりのものです。 今は乾燥した畑地が多いですが、二十年ほど前までは放棄された水田と、ほとんどは不毛な湿地ばかりでした。
東浦和駅よりバス通りを真っ直ぐ北上すると463号バイパスと交差します。そこよりやや北東、歩いて行けなくもない位置に神社はあります。 馬場折返場、さいたま東営業所方面行きのバスを利用する...
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