近所にお住いの方は散歩で通りかかるだけ、遠くの観光客は滅多に来ない、何とも不遇な国指定史跡です。しかしながら一八〇尺(約五三メートル)四方で高さは三〇尺の基壇の上に重ねられた一三段の四角錐状の仏塔は国内における類例がほとんどない独特のものであり、一見の価値は十二分にあります。 土塔は行基建立四十九院のひとつに数えられる大野寺の境内にあったものです。行基は日本各地への仏教の布教と定着に貢献した高僧で、行基が開いたとされる寺院は数百もあるそうですが、そのほとんどは遺徳を慕って名を拝借しているものです。土塔のある辺りは行基が開墾を指揮した土地で、寺院跡の他にも行基にまつわる遺跡が点在しています。最寄駅の駅名にもなっている「深井」の地名も、行基の掘削した井戸に由来します。 土塔のあった大野寺は室町時代に一度廃絶、後に規模を大幅に縮小して土塔の近くに再興されました。大野寺廃絶までの土塔は瓦が葺かれていて、その後は土を固めた段々が露出した状態だったとされています。現在は正面と右面は瓦で覆われていて、背面と左面が土のままとなっているので、見る方向によって異なる雰囲気を楽しめます。右面の一部では発掘当時の状態も展示されていて、周辺に配されたパネルの解説もよく要点を押さえています。 およそ五〇メートル四方と聞けば「大したものではない」と感じる方もいそうですが、実際に訪れて相対すれば視界を満たすには十分であり、さりとて大仙陵古墳(仁徳天皇陵)がごとく「大きすぎて何が何だかわけらない」なんてこともありません。国の重要文化財に指定されている「大野寺(土塔)出土品」は大仙陵古墳近くの堺市博物館に展示されています。博物館までは歩く距離ではないものの、観光でこの辺りまで来た方のほとんどは外さないであろう大仙陵古墳の近くなので、さ...
Read more堺市の紹介Instagramを見て、初めてお邪魔しました。 堺市の史跡で、驚いたのは奈良の大仏建立に監修した行基と言うお坊さんが作ったと言う事。また、その行基が、自宅近くの家原寺が生家だと言う事に更に驚き‼️
とても大きく高い作りの土塔。 盛り土と瓦が大量に使われている建築物で、迫力を感じました✨ 史跡や寺社仏閣など訪れる度におもいますが、先人の技術は偉大‼️ 今のように機械が無い時代に、よくこんな凄い建築物やライフラインを作って整備したなぁ〜と思います。 土塔の脇にはシロツメクサが生えた広場の公園になっていて、地域の憩いの場になっています。
公衆トイレも完備。 駐車場🅿️は土塔の裏側に墓地があり、その墓地の手前に共用の小さな駐車場があります。入り口が狭く、坂になっています。出る時は下り坂と左右と右斜め後ろからの交通に気をつける必要があります。
歴史は学生の頃の詰め込み授業で、楽しさを見出せなかった私。 生活の身近に感じられた事で少し歴史の面白さがわかって来たような気がした史跡の出会いでした💕😊 調べると行基が作った物が近くに沢山ある事がわかり、また色々と...
Read more堺市の大野寺跡にかつて存在した、土と瓦で築かれた十三重塔。 瓦と粘土で作られた、階段状ピラミッド。
最下層は一辺53.1mの方形を成し、最上層は地上高9mに及ぶ。 神亀4年(727年)に、当時の高僧行基が大野寺を創建した際に築かれた塔である、と云われている。 階段状に土(粘土)を盛りたてて固め、表面及び側方部に瓦を隙間なく貼り付けている。 なお、当時使用された瓦は、約60,000枚に及んだという。
現在の塔は、発掘調査から整備工事完了まで10年に及ぶ歳月を費やし、平成21年(2009年)に復元・公開されたものである。 なお、基壇と呼ばれる土台部分を復元したものであり、建立当時は上部に多宝塔のような建築物が建っていた、と推定されている。また、発掘当時の基壇の状態を保存した面も残されている。
発掘調査においては、土塔周辺から多数の瓦が発見され、そのうちの1200枚は、人名などが彫られた文字瓦であった。 人名については、名前も筆跡もほとんど全てが異なっているため、土塔建設に携わった様々な人たちが自分の手で書き記し...
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