ひみこさんの陵墓では? と広く知られる箸墓古墳。 一方で、ヤマトモモソ姫とオオモノヌシが 埋葬される陵墓とも。 古くは、 大市の箸塚として親しまれていたようです。 時に壬申の乱では、ここが戦場になったとも。 箸塚とは、合葬の意で、前方にオオモノヌシ、後円にモモソ姫が男女の象徴のように眠るようです。
ひみこさんでは?と目される倭迹迹日百襲姫。 まずこの御名、少し整理したほうがよさそうです。 ふたりの姫が混在していそうな。 当陵に鎮まるのは、ヤマトモモソ姫。 オオヤマトフトニ・ネコヒコ(7代孝霊天皇)さんが ヤマトクニカ姫(ヤマト大宮女)との間にもうけた 三つ子のおひとり。
ヤマトネコヒコクニクル・モトキネ(8代孝元天皇)さんと ウツシコメさんの間に授かったのが、トト姫。 このトト姫、オオヒコさんと9代開化天皇とは兄妹。 ヤマトモモソ姫 → 倭百襲姫命。 トト姫 → 倭迹迹姫命。 このお二人がこっちゃにされて合わせ技でひとりみたいにされているようにも思えます。
モモソ姫は、ずば抜けた霊能力をお持ちだったようで、 当然巫女であり、その巫女衆の長、姫巫女であったわけです。 多くの方々がご高承のように 各エリアにおける巫女衆のトップには姫巫女が長としておられたわけで、ですから当然、複数のひみこさんがおられて然りなわけです。
こちらのモモソ姫は10代崇神天皇の側近でもあり、オオモノヌシ神が、懸かることもしばしばだったようです。 後に何代目かのオオモノヌシの妻となるわけですが、 どのオオモノヌシなのかは、はっきりしません。 どのオオモノヌシだったんでしょう。
夫となったオオモノヌシが蛇と化した姿を見てしまったので、 ビックリして腰を抜かしてしまうんですね。 かわいそうに誰でもそうなりますよね。って思います。 ですが、モモソ姫はその事を恥じ入り、 最も女性らしい部分を箸で突いて絶命なさったんですね。 そして、ここ大市の箸塚に葬られます。 その相手のオオモノヌシは誰なんでしょう。 タケミカジリさんかな? モモソ姫を想うと またこちらの陵墓へ足を運びたくなりました。
懐深くも有り難く数十台は置け...
Read more20210406大神神社に続いてやって来ました。とても立派て大きなな古墳です。天皇の娘・大物主神の妻ぐらいてはこんなに大きいものは作らないでしょう。だとしたら卑弥呼てしょうか。この姫が卑弥呼だとの説もあるらしい。発掘すると魏からもらった鏡や金印が出てくるかもしれない。大型前方後円墳の最初のもので、これ以降を古墳時代と呼ぶらしい。 古墳の周囲をぐるっと巡ってきました。池からの眺めがとても美しい。前方部の端を見ると鋭角になっていてバチ状になっているのがわかります。箸墓のゆわれは、七代孝霊天皇の娘ヤマトトトヒモソヒメが驚いて後ろに倒れたところに箸があって刺さって死んでしまったとの物語が伝わっているらしい。
ウィキペディアによると古事記に次のように書いてあるそうだ
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えずして、夜のみ来す。分明に其の尊顔を視ること得ず。願わくば暫留まりたまへ。明旦に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を勤(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。大神対(こた)へて曰(のたま)はく、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり、吾明旦に汝が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。願はくば吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。ここで、倭迹迹姫命は心の内で密かに怪しんだが、明くる朝を待って櫛笥(くしげ)を見れば、まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。その長さ太さは衣紐(きぬひも)ぐらいであった。それに驚いて叫んだ。大神は恥じて、人の形とになって、其の妻に謂りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。よって大空をかけて、御諸山に登ってしまった。ここで倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて座り込んでしまった。「則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむさ)りましぬ。乃ち大市に葬りまつる。故、時人、其の...
Read more◆― 4世紀後半(西暦360年頃)の築造 ―◆ ―2001年、周濠跡の基底部から木製の鐙が出土― 出土状況から投棄後池を撹拌した痕跡もなく築造後すぐに投棄されたものと推定。卑弥呼の時代とする布留一式土器と一緒に出土したことから最古の鐙と発表された。だが…
★― 鐙の発明は西暦290~300年頃の中国...
Read more