纒向遺跡は一般人が住むための場所ではなく、祭祀用の施設と、湧水点まで掘り下げられた土坑を用いた太陽信仰の祭祀の痕跡が残る場所です。
祭政一致体制だった時代に、太陽信仰の国を導く指針となる神託を天皇=大王に授ける神事が纒向遺跡で行われていました。
現皇統=継体王朝は、息長氏から輩出されているため、天武天皇は皇室のルーツの息長氏を公家の最上位=真人のカバネの筆頭に据えています。※あの藤原氏よりも上。
神話上の女帝の息長帯姬=神功皇后は、応神王朝の国母ですが、日本書紀神功記に拠ると、神憑りした状態で仲哀天皇に〔琴の演奏を求めた〕=中国の古典を踏まえた臣下の礼を取ることの婉曲表現!…ことでも有名です。
倭国の女王卑弥呼の例もあり、古代では兵を率いる男王=天皇よりも、祖霊祭祀を行い国を導く指針となる神託を授ける日の巫女の王=斎皇のほうが社会的地位が高いと考えられていた痕跡が見て取れます。※もちろん、勅命を下して国を動かす主体は天皇で、斎皇は今で言うところのシンクタンク。
「ただの原っぱでこの場所には何もない」という指摘が多々目につきますが、纒向遺跡に行って見るべきは、この場所が古代の斎宮として選ばれた理由の一つ、〔三輪山から古代の元旦=冬至に昇る初日の出の御来光が拝める場所〕という点です。
神功皇后ゆかりの“日の巫女の神道”を今も母系継承する、天武天皇が忌家として隠し護ることを決断した“息長氏の姬姓斎皇家”では、神体山から昇る冬至の初日の出を拝んで天照大神の神託を下す“奇日神事”(くさかしんじ)を今も世襲しておられます。
奇日神事が行われる神聖な土地のことを“日下”(くさか)と言い、神体山の生駒山の山麓にこの地名の場所が残っています。
斎皇家には、纒向遺跡の場所も古くは日下と呼ばれていた記録や、かつては天皇しか目を通すことが許されなかったシルクの紙=帛に記された天照大神の神託が、脱酸素処理された玉手箱に収められて六甲奥池の西宮の斎宮の地下神蔵に1980年代まで保管されていました。(※土石流災害や火災から守るための地下神蔵)
日本書紀は大和朝廷が編纂した“国史の書”とされながら、国防上の理由から“日本”という国号が定まった経緯に関するエピソードを収録していません。隠しておきたい日の巫女の王の家=斎皇家の存在が誰の目にも丸見えになってしまうからです。
「斎皇によって天照大神の神託を下す神事が行われる最も神聖な土地=日下(くさか)の“下”の文字は卑字なので、同じ訓読みと意味を持つ“本”に置き換えた“日本”(ひのもと)という国号が託宣された」と、斎皇家の神蔵に収蔵されていた『天照大神託宣集』や『国記』に伝わります。
纒向遺跡では、湧水点まで掘り下げた土坑祭祀の痕跡が数多く発見されています。一度祭祀に使ったものは再利用しない発想が見て取れます。
現代の日本人が割り箸を割って使ったあと時間が経過したら、食べ物で汚れたものは腐敗しているし可能性があるため再使用することに抵抗を感じるのと似ています。昔は一度使ったお箸は川に流す慣習がありました。
三輪山に祀られた神を祭祀する場合、初日の出の御来光を、湧水点まで掘り下げた土坑の水面に映していました。水を桶で運んで注ぎ足して水面の位置を高めることも行われていたそうです。そして、40Hzで鳴る銅鐸によって水面が振動して、斎皇の脳にこの周波数で明滅する光刺激が入ることで、脳が活性化されてリミッターが解除され、神憑りのトランス状態=知能拡張状態に移行して、国を導く指針となる神託を下すことになります。
40ヘルツの光刺激が脳に及ぼす効果については、アミロイドβなどの老廃物が脳から除去されることなどが知られていて、脳の代謝機能が目覚ましく高まることは確実視されています。
このような解説を受けると、三輪山から古代の元旦=冬至〜現代の元旦にかけて昇る朝日が、この場所から実際にどのように見えるのか、興味を抱く人は多いようです。
私が水を入れたバケツと、40Hzの音が再生できるスピーカーを持って纒向遺跡に行って、太陽が水面に映る状態で、三輪山から昇る冬至の旭日の写真を撮らないといけないのかな?
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