鳥居をくぐり、境内を見渡し、実際に歩いてみると、全てをひとつに纏めてしまうことができそうもないと思うようになっていました。分けて考えてみることにしました。
明治に入ると、寺院や神社に対する考えや評価が変わり、神仏分離によって神社優位になりました(国家神道の台頭)。そして、特に明治末期頃、全国的に神社の合祀が行われています。敷島神社も例外ではなく、明治41年(1907年) 浅間神社の敷地内に、村山稲荷神社・星野稲荷神社・水神社を合祀し、敷島神社となりました。敷島の名称の由来は、本居宣長の和歌である「敷島の やまと心を 人とはば 朝日に匂う 山さくら花」(人によって現代語訳はそれぞれです)から採用されています。(諸説あり)浅間神社の祭神である「このはな さくや ひめのみこと」の「木花」この花は、「開耶」桜を意味しているとのことで、敷島神社の御神木は、桜の花ということになります。 因みに、敷島とは、日本国の別称です。(現在の敷島神社の敷地は当初の倍以上になっていますが、その経緯を知ることはできませんでした)
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)浅間神社の御祭神 火中出産されている神ですが、浅間神社では、水の神として祀られています。 倉稲女神(うかのみたまのみこと)稲荷神社の御祭神 穀物の神です。 芒象女神(みずはのめのかみ)水神社の御祭神 女性の龍神で、水神様と呼ばれています。
安産子育て・商売繁昌などの御利益があるとのことです。
毎年、7月末の土日にお祭りが行われています。明治時代から続く伝統的なお祭りで、毎年約10万人が訪れているとのことです。 土曜日は、総勢約400人による、歩きながら踊る民踊流し、獅子舞、志木市宿組による狐童の踊りがあります。狐童の踊りをYouTube...
Read more富士山(および山岳)信仰の地を訪ねて歩いているが、こちらの神社の境内には、いまでも頂上から富士山が(天候によるが)チラリと見える富士塚がある。塚の規模は非常に大きく、また1合目からきちんと登山道が模してある、関東でも有数のものである。
神社としても、地元の方の熱意が感じられる整備ぶりで、志木市立高等学校美術部の描いた奉納画(でいいのかな)が拝殿の周囲を飾っているという、たいへんに好感の持てるものである。
ちゃんと駐車できるスペースはあるが、カーナビで案内されたのは住宅街の細い道だった。すれ違い可能な道路で正面からアプローチできるので、あらかじめ航空写真などで経路確認...
Read more昔、河岸があった街中の奥まったところにある。歴史を感じさせる風格があるだけでなく、夏祭りや桜の季節には大勢の人で賑わう。現役の神社だ。子供の頃にこんな神社が近所にあったら嬉しかったと思わずにいられない。すぐ裏を流れる新河岸川にかかる歩道橋の名前が富士下橋というのは、この神社にある富士塚に由来するのだろうか? 広い敷地にはブランコや鉄棒などの遊具があるのだが、鉄棒は特に低いものがある。15年ほど前のことだが、運動神経が今一つの長男が初めて逆上がりをできた...
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