陽明学を信奉した近江聖人中江藤樹(1608年-1648年)を生んだ高島市が陽明学の祖、王陽明の出身地、浙江省餘姚市と姉妹関係になったことを契機に、餘姚市から太湖石など資材を提供されては蘇州の拙政園、上海の豫園を参考にして平成4年に造営された中国庭園。造営当時はあった黄色の瑠璃瓦の亭も老朽化で撤去されては、その訪れる人も少ない夕暮れとともに「廃園」という感を一層強めるが、実のところその多孔質な太湖石が「掃除が面倒」という斬新な発見を導くほどにきちんと手入れはされており、巡る池の透明な清水という、中国江南のどうしたって澱流な池庭を実際に見た身にはあり得ない設定にびっくりである。 しかし、何よりその畳石、配石の妙が素晴らしい。要するに日本人でも中国庭園は造営できるのであり、それはなぜもっと早くから太湖石を使って日本庭園を造営しなかったのかとも思ったりする。日本の庭園造営理論書が、やたらと道教的な迷信で彩られながら太湖石や畳山といった中国庭園の手法を拒否したのは不思議であり、そこには日本人の「あるべき」石への思いというものを却って感得するに充分であろう。とはいえ、この庭園を貶しているわけでは決してない。そうした連想を可能にするほど完成した庭園であることを言いたいのであり、そしてそこから尚洩れる「中華」と現れる「日本」というものは「石」だけにせよ、まだまだ考究す...
Read more2017.09.19. (火) 12:00 初来訪 (奈良斑鳩人) ココを訪れるまで 藤樹書院跡→良知館→ 中江藤樹記念館と行き 次の目的地に 向かうハズが 記念館を出たトタンに 変わった擁壁が目に付き 自由に入れそうな 公園にも見えたので 再度駐車場に戻り コチラに向かいました
公園の説明パネルが ヨク解らず ネットで調べると 陽明園は 1986年(S.61)に 中国の儒学者で 陽明学を築いた王陽明サンの生誕地である 浙江省余姚市と 日本陽明学の祖である 中江藤樹サンの 生誕地である ココ安曇川町との間で 友好交流の記念として 中国式の庭園を 建設したモノ との事でした
更に ココで使用された 建築材料の殆どが 中国から輸入された資材で造られ 建物のみ ならず日本に居ながら 中国の 雰囲気を 味わうことが出来ました
また 公園の池の水が 伏流水なのかトテモ 美しく透き通り 泳ぐ鯉の姿や色が 鮮明に見え...
Read more2024.6.10 道の駅の看板見て来ました。中江藤樹はここ小川村の出身、9歳の時、祖父の徳左衛門の養子となり米子藩に就く。その後、国替で伊予へ移り、武士として藩に仕える。
しかしながら、母の病気で脱藩し故郷の近江に帰り、私塾を開くので有る。陽明学の確立と「知行合一」つまり知識と行為は一体だと、中国の王陽明がおこした陽明学の命題を実践、やがて近江聖人と称えられるのです。 他にも"致良知"(ちりょうち)"五事を正す"等の教えもある。
こんな名言を残している。"人生の目的は利得ではない。正直である、正義で有る"幕末の頃には維新の志士たちに大きな影響を与えたのが解る。 そん中江藤樹と中国の王陽明の友好交流を祈念して作ったのが陽明園、以前は陽明閣という建物が有ったらしいが今は無い。
宇治に萬福寺という有名なお寺が有る。中国福建省の匂いのする建物と庭、ここも珍しい建物と庭、...
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