白鳳年間(684)、天武天皇の勅願寺として西阿野村御嶽山一帯に、七堂伽藍三百坊の僧院が創建されたが戦渦等で次第に荒廃の途を辿り、これを嘆いた時の僧・養春上人が、南坊本尊十一面観音を観音浄土に相応しい現在の地に移したのが始まりです。 弘仁年間、空海上人ご巡錫の折に立ち寄り御自作見護弘法大師像と加持霊水を残し、清水弘法の周りには知多半島最古の本四国お砂踏み霊場を安置、いつでもお参りできるようになっています。 文明元年(1469)、常滑城初代城主水野監物忠綱は領内安全を願い、常滑城の鬼門にあたる補陀落山観蓮寺に六坊を再建。本坊大善院に十一面観音菩薩を新たに造立、中興開山第一世興覚法印が入寺し復興の基盤がつくられています。 明応3年(1494)、常滑千代之峯総社から祭神素戔嗚尊(本地別名牛頭天王)を分祠して山頂に鎮守中の宮を奉祀。江戸時代までの神仏習合の古いかたちを今だに残し、夏には茅の輪くぐりで暑気祓いをする奥条天王祭りが行われています。 境内には日本画家橋本関雪の宝塚旧別邸アトリエを移築した冬花庵観音堂や、県指定天然記念物の樹齢約600年の御神木イブキがあり、周辺のヤブツバキは県下有数の群生地です。 中の宮の瑞垣玉垣を含む陶製ブロック塀は、「大善院陶製建材資料群」として、文化庁国立近現代建築館保存資料に2013年登録され貴重な...
Read more常滑城の藩主水野家の帰依を受けたお寺とのことで、今はご住職夫妻の絵入り彩色ご朱印(500円(大判は700円))が人気らしい。 本堂の建物の傷みが進んだため屋根全体シートに覆われていて痛々しい。聞けば改修をしたいが、補助金等も殆どなく寄進も募っているがいつのことになるか全く見通しも立たない状況とのこと。 せめてもと瓦一枚(2千円)寄進させて頂いた。いつか本堂が見事修復されることをお祈りします。なんだかご縁ができたようで少し嬉しくなりました。またい...
Read more真言宗補陀落山大善寺。白鳳年間開基と伝わる。知多四国八十八ヶ所霊場、知多西国三十三観音霊場。お寺のシンボルとなっている伊吹の大木は樹齢500年で愛知県指定天然記念物。イブキの原種にあたり、学術的にも貴重。冬花庵観音堂は橋本関雪宝塚元別邸を移築したもの。その下の石のアーチはご住職の製作。本堂裏の四国八十八箇所お砂踏みは明治時代に作られた知多では最古のもの。かつては裏山を廻るように設置されていましたが、伊勢湾台風の影響で危なくなったことから...
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