思春期に寄り添ってくれる作家。 1970年、三島由紀夫の自殺は、当時の中学生にも、衝撃を与えた。中3の私は、近所の本屋さんに走って、サンデー毎日臨時増刊号を購入。その中に、太宰治とのエピソードが紹介されていた。 「僕は、あなたが嫌いです」と、太宰治に面と向かって言った、らしい。その雑誌は、今、手元にないので、確認ができない。 志賀直哉は、『斜陽』について、お母様が、娘に、「さあ、お食べなさい」という場面があるが、「召し上がれ」が正しい。さらに、お母様が、中庭で、用を足す場面があるが、高貴な身分の人は、そのようなことはしない、という指摘も。太宰治は、ひどく傷ついたらしい。 三島由紀夫は、学習院中等科、志賀直哉は学習院高等科、出身。太宰治は、子ども時代、親たちが、彼を学習院に入れようか、と話していたのを聞いて、自身の身分を意識するようになったにもかかわらず、その世界の人びとから批判、或いは拒絶され、ショックを受けたであろう時の、心の痛み。若いファンは、一緒に傷つくのである。大好きな太宰だから。 芥川賞をとっていたら、自殺しなかったかもしれない、と思ってしまう。 三島由紀夫は、ノーベル文学賞をとりたかった、とも聞いている。この時も、川端康成が……ということは、2人の作家の死に絡んでいる川端康成は、どんなに罪深い人なんだ。それだけ重要なポストにおられた、とも言えるけど。 全部、推測、想像、個人的には、川端康成は、好きではない。あの古い女性観が、嫌。雪国も、踊り子も、上から目線。 ただし、川端康成の美意識に対する評価は非常に高い。古美術収集で発揮される審美眼。 太宰治が、あの世で、安らかに...
Read more昭和の文豪である太宰治の墓が三鷹の禅林寺にあります。 太宰治は誰でも青春期に一度は傾倒するのではないかと思います。 私も近くに用事があった際に墓参したのですが、墓参した際に昔太宰治に夢中になった青春時代を回想してしまいました。 太宰治は、1939(昭和14)年9月から自殺する1948(昭和23)年6月まで三鷹で暮らしていました。「走れメロス」「斜陽」や「人間失格」など、主要な名作の多くは三鷹時代に執筆されています。 毎年6月の命日には多くの読者が墓参します。 禅林寺ですが三鷹駅から10分ほど歩いた場所にある大きなお寺です。 寺の入り口が隣接する神社の横の方しかありませんので注意が必要です。お墓は自由に入れます。午前8時から日没まで解放されています。 正面の山門を入っていき左側に墓地の案内があります。 NO.8-5が太宰治のお墓です。 その向かい側に太宰治が尊敬していた森鴎外(森...
Read more昭和の私小説文学の傑作を数多く著した太宰治氏の墓です。三鷹の禅林寺にあり、故人が敬愛した明治の文豪森鴎外(森林太郎)氏の墓のほぼ向かいに設置されています。彼が入水自殺し発見された6月19日は桜桃忌と名付けられ、多くのファンがこの地を訪れます。三鷹駅から三鷹通りを800メートルほど南下し、八幡大神社の大鳥居の角を左折するとすぐ禅林寺の入口があります。こちら側からしか境内には入れません。本堂左側にスロープがあって、そこを道なりに抜けると墓地に入れます。墓参時間は午前8時から日没までと書かれていました。太宰氏の墓はずっと奥の大きな桜の木のそばにあり、彼の戒名である「文綵院大猷治通居士」と記された卒塔婆が立てられていました。訪問したときは美しい花が供えられており、吸い込まれるよ...
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