2017/06/09に参拝しました。本日は団体行動なので勝手な行動が難しくて駆け足でのお参りになりました。 府中本町駅を降りて、大国魂神社を参拝し、229号線(旧甲州街道)に出て、府中高札場前を左に見て直進、街道の左から「番場宿」前、割烹「番場屋」前の綺麗に整備された「鹿島坂」を南下して、高安寺観音堂に向かう。(清水下小路しみずしたこみち)を右に入って観音堂に出たが門前の門扉が閉められていた。仕方なく、今一度鹿島坂を戻り、旧甲州街道に出て、「安国利生之祈願所 開基足利尊氏公 曹洞宗 龍門算 高安寺」看板のある入口を左に入った。 曹洞宗寺院の高安寺は、龍門山等持院と号します。境内は府中の街中にあっても実に静かで広く、入口から歩いて正面に赤い幟旗が並ぶ観音堂はそこにあります。 高安寺の観音堂は、もと寺の西、観音橋付近にありましたが、江戸初期の大水に流され、享保年間(一七一六〜一七三六)に現在地に再建されたと伝えられます。 この観音堂は、桁行三間・梁間三間の入母屋造りで、多摩地区においては数少ない江戸中期の三間堂です。 また垂木や組物そして格天井の彩色絵様など建築史的にみても十八世紀前半の特色を伝える貴重な堂宇です。(府中市教育委員会掲示より)
観音堂前を右に曲がると、奥行きのある参道を歩き大きな山門を潜り抜ければ正面が「等持院」の扁額が掲げられた本堂です。手前左に鐘楼があります。「龍門山等寺院高安寺」のご本尊は釈迦牟尼佛です。 本堂は木造平屋建て、屋根は寄棟造銅板葺(旧茅葺)、六つ間取で内部正面に広縁、両側面に入側縁から構成されている。内陣や大間の組物廻りに意匠を凝らした点に特徴が見られ、大縁(八尺間)は禅寺基本の姿をとどめている。 山門は本堂の東方に位置する規模の大きい二重門である。木造(柱・梁等の構造材はすべて欅)二階建てで、屋根は入母屋造銅板葺、柱はすべて円柱である。初層の左右からも出入りできる点に特徴がある。 鐘楼は本堂の北東、庫裡の前方に建っていて、木造(柱・梁等の構造材はすべて欅)、袴腰付きで、屋根は宝形造銅板葺である。虹梁型頭貫の木鼻位置には龍の丸彫を配し、支輪板には鶴の浮彫彫刻を施すなど、山門ど同様、彫刻装飾を多く採り入れている。(東京都生活文化局掲示より)
高安寺は、田原藤太秀郷の館跡と言われる当地に、市川山見性寺と称して創建したといいます。鎌倉幕府滅亡後の暦応年間(1338-1341)、足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つとして、当寺を臨済宗龍門山高安護国禅寺として再建、大徹心悟禅師が開山したといいます。戦国時代に疲弊したものの、慶長年間(1596-1615)に青梅の海禅寺第七世関州徳光禅師が曹洞宗寺院に改めて中興、江戸期には寺領15石の御朱印状を受領していたといいます。高安寺は、境内の諸堂宇・観音堂を始めとして数多くの文化財を所蔵、また弁慶硯の井戸や秀郷稲荷など、歴史を偲ばせる旧跡を残しています。多摩川三十三ヶ所観音霊場33番です。
参考:「弁慶『硯の井戸」は、壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させた後、源頼朝の怒りにより鎌倉入りを許されなかった源義経・弁慶らが、当地で赦免祈願のため大般若経を写経した地だといい、谷保村の安楽寺が所蔵する大般若経も当寺が所有していたものだ...
Read more東京都下は府中市に有ります古刹「高安寺」です。 この寺は様々な時代の、超の付く有名人に関わりが有り、非常に興味深い古刹です。
時系列に明記してみます。 まず創建年は不明ながら、平安時代に藤原秀郷の居館がこの場所に有りました。その後、藤原秀郷の居館跡に寺を普請し「見性寺」としました。高安寺の旧名称です。それがここ高安寺の始まりとされています。平安時代が草創ですかね。 (因みに藤原秀郷は、平貞盛と共に「将門の乱」を鎮圧し、平将門を討った人物です)
また見性寺という名称の頃の鎌倉時代元年の1185年には、源頼朝の怒りを買い鎌倉入りを禁止され京に引き返す途中の源義経と弁慶が、この寺に立ち寄り頼朝からの赦免を祈願し写経をしています。
南北朝時代には、新田義貞が分倍河原の戦いの際に、この寺に本陣を構えたとか。
そして同じく南北朝時代に足利尊氏が開基として、名称を高安寺に変更した様です。 足利尊氏の旧名「高氏」から一文字取り高安寺とした様です。
凄いですね。 藤原秀郷、源義経、武蔵坊弁慶、新田義貞、そして足利尊氏。そうそうたる歴史上の人物がこの地に関わっています。
また戦国時代には小田原北条氏の篤い庇護をこの寺は受けました。そして小田原北条氏滅亡後の江戸時代に、この地は最終的に徳川家康の家臣であった高林【市左衛門】吉利という武将(府中領の最初の代官)に所領として拝領されました。その後、四代で100年ほど高林家がこの地を治めました。
そして、ここ高安寺は新田義貞をはじめ様々な武将が陣を敷いた事から「高安寺城(城跡)」という別の顔も持っています。
見どころは非常に立派な山門でしょうか。複雑かつ緻密に組み立てられた建物は、ずっと見ていても飽きる事は有りません。素晴らしい。 ここまで美しい山門はなかなか有りません。 因みに、山門の天井には龍の絵が画かれていました。 (山門自体はそれほど古くは無く、明治時代の普請との事です)
あとは、源義経と弁慶が滞在した際に弁慶が水を汲んだとされる古井戸が寺の一番奥に有ります。
樹齢数百年の感じの大樹も数本有ります。
この古刹も行って損無しです。これ本当です。 文句無し星5つですね自分は。 是非にブラ...
Read moreThis is an expansive temple with a number of points of interest, such as the impressive gate with its statues, the collection of Jizo statues around it, a variety of trees, old cemetery, and a secret well all the way in the back. Not necessarily worth making a special trip for, but good as part of an...
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