I love taking my kids on the Meiji-Maru. It’s free and there are guides that can give you some interesting background. All the guides I’ve spoken to were able to communicate at least a bit in English. The campus of the marine university is sort of nice to...
Read more明治政府が灯台見回船として英国に発注した鉄製機帆船で天皇のお召し船としても利用された。当時の日本では高速の最優先船で島嶼探査など様々な用途に活用されて実績を残しているそうだ。特に小笠原諸島の探査ではその快速を飛ばして領有権を巡って争いのあった英国の軍艦より先に到着して領有権の獲得に大いに貢献したそうだ。その後、1897年に海軍は後継船を建造したので明治丸は商船学校、現東京海洋大学、に移管されて現在の越中島に係留されて係留練習船となった。その後関東大震災や東京大空襲の際は避難所として利用されたりもした。戦後は米軍に接収されて酒保として利用されたが、座礁したことで1951年に日本側に返還された。1954年に練習船としての指定は解除されたが、東京海洋大学では結索実習などに活用された。1978年に船として初めて国の重要文化財に指定され、その後、二回の大修理を経て現在に至っている。船形は3本マストのシップ型で建造当初は速力12.66ノット、軸馬力1450馬力で快速を誇ったと言う。ただし要目については記録が複数あり要目が異なるそうだが、当時としては高性...
Read more明治丸は明治初頭、洋式灯台の建設に伴って、その測量やメンテナンスを行う灯台巡視船が必要なことからイギリスに発注、1875年に日本へ回航。
当時の日本国内のなかでは最新鋭の船であったため、通常の灯台見回り業務の他の役割も担いました。
同年に起きたイギリスとの間で小笠原諸島の領有問題ではイギリスの調査隊が乗り込んだ軍艦よりも早く到着して測量調査に着手。(結果、日本の小笠原諸島における領有権は認められた。ということは、明治丸がなかったら日本は小笠原諸島とそれに紐付く広大な排他的経済水域を失っていたかも知れない…)や御召し船としても用いられ、1876年には明治天皇の北海道・東北地方への巡幸の青森から横浜への帰路に用いられ7月20日に横浜に無事帰港し、それを記念して出来たのが『海の記念日』(現在の海の日)だったり。
お召し船や灯台巡視船に使われた後は船員育成のための練習船、戦後GHQに接収中には酒保(キャバレー)、返還後は保存船と用途が目まぐるしく変わりましたが、近代から現代に至るまで国民深い縁があり、かつ...
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