白鬚神社様 (しらひげじんじゃ) 隅田川七福神の一つ、寿老神(じゅろうじん) を祀る。
隅田川七福神 寿老人(じゅろうじん)∶隅田川七福神では、 「寿老神(じゅろうじん)」とお書きします。 寿老神∶寿命、中国の延命長寿の神。 巻物を結んだ杖を携え三千年の長寿の象徴の 鹿を連れている。 新年の行事として、陶製の宝船•御神像を各 社寺で頒布(はんぷ)いたします。
所在地∶墨田区 東向島3ー5ー2
主祭神∶猿田彦大神 (さるたひこおおかみ) 合殿(あいどの、あいでん)∶他 6柱
境内社∶三峯社、水神社、諏訪社
今から千年余の昔(天暦五年・西暦九五一年) 慈恵大師が関東に下った時に近江国志賀郡境 打颪(うちおろし)(滋賀県高島市) 琵琶畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお 祀りしたことが、東向島鎮座・白鬚神社の始 まりです。
主祭神・猿田彦大神様は、古事記や日本書 紀などによれば、正しい方位を示される国土 開拓の神として記されています。人を正しく 導くことが叶うとのことから、旅立安全•交通 安全•商売繁昌•方災除の神として広く信仰を 集めています。 猿田彦大神様は、天孫降臨(てんそんこうりん) の際に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を先頭に 立って高千穂へと道案内された神で、道開き (みちひらき)の神として知られている。 猿田彦大神様は、白髪で白い鬚(ひげ)を蓄えた 老人の姿で、御社名の由来にもなっている。 長寿神である。
江戸時代には、江戸の商業•産業の発展ととも に、遊興の地•向島の古社として信仰を集めま した。特に道案内の故事よりお客様を案内し てくださる神として「千客万来」「商売繁昌」 の祈願がなされ、社前の狛犬は、吉原「松葉 屋」からの奉納である事からも信仰のほどが うかがわれます。
石像狛犬(せきぞうこまいぬ) 寸法 阿形•吽形とも 総高 173.0cm 彫像 高68.0cm 年代 文化12年(1815年) 2月 作者 神田今川橋 石工六兵衛明貴 奉納 松葉屋半左衛門、八百屋善四郎、 駿河屋市兵衛 墨田区登録•指定文化財 区登録有形民俗文化財
江戸末期建築の社殿は、関東大震災や先の大 戦でも被災しませんでしたが、平成二年、心 ない暴徒の放火により全焼し多くの名木も失 われたが平成四年には社殿は再興され現在に 至っている。
参考資料 •白鬚神社様 由来リーフレット、 社務所 授与所で頂けます。
•隅田川七福神めぐり 墨堤名所案内 (墨堤沿いの名所•うまいもの•みやげ案内付) 定価 300円 •すみだの文化財 墨田区教育委員会 頒布(はんぷ)価格...
Read more東京都墨田区東向島に鎮座する白髭神社の直書き御朱印です。 御祭神は猿田彦命。
今から千年以上の昔(天暦5年・951年)、現在の滋賀県高島市の琵琶湖畔に鎮座する白髭神社御分霊を、この東向島鎮座として迎え入れたのが神社の始まり。 以来、旧寺島町にあたる東向島、八広、京島、堤通、墨田、押上地区の氏神として、地元の人々から崇敬を集めています。
この東向島の少し北、ちょうど鐘ヶ淵駅を西から東に貫く道が古代東海道として現在も残っており、古代からこの辺りに人居があったことが分かっています。 つまり千年の古社という話も十分納得出来る話なのであります。
これは武蔵国が東山道から東海道に移管されてからの話ではありますが、古代東海道は下丸子、池上、大森、高輪の高台を通る二本榎通りから聖坂を下り、霞ヶ関(古代東海道の関所があったから霞ヶ関という地名になったという説がある)、桜田(櫻田)、現在の江戸通りを進んで駒形、浅草の微高地上を通って石浜(ここは古代の湾口で、石がゴロゴロした浜だったから石浜という名になったそうな)に至ります。 ここで隅田川(といっても当時は川だか海だか分からない状態だったと思いますが)を渡り、鐘ヶ淵駅を東西に通る道から立石、小岩、江戸川対岸にある国府台にあった下総国府まで道が繋がっていました。 ちなみに白髭神社の南側を押上方面へ向かう旧赤線地帯であった鳩の街通りは、古代の隅田川の流れは横十間川の方へも流れており、その川辺りの痕跡が道として残ったものとのこと。 確かにこの辺、地図で見ると道の形がかなり変なのでかなり納得はできる。
あと、この辺りは向島花柳界を支えた江戸創業の有名和菓子店が多いので、そんな和菓子頬張り...
Read moreThis is one of shrines and temples for Seven Lucky Gods Pilgrimage. When I visited here, the traditional Japanese street performers were coming to dance for...
Read more