重要文化財(本殿、栖社春日社、抵社 天神社) 錦織神社 由緒
神社の所在する富田林市宮甲田は古代律令 例における河内国錦部郡の最北端にあたり、古来 より姉部郡内の水流の集まるところとして水郷天 王宮と呼称され広く信仰されてきた。 明治時代よ 神社として周辺五ヶ村の神を合祀し地元 の氏神様として信仰されている。
現社殿の創建は室町時代正十八年(一三六三 と伝えられ、 本殿を中央に、東降に摂社春日社本 殿、西隣に摂社天神社本殿の三棟が並ぶ配置を取 っている。
本殿は桁行三間、梁間二問 檜皮美 入母屋屋 根の形式をとり、中央に建速鳴命、右に品陀 別命、左に菅原道真公を祀り、天照皇大神 伊 円、倉稲魂神、天水分神 高直神を配祀する。 本殿屋根は正面に千鳥破風、軒に唐破風、側面 に破風を設け、かつ重厚な形態であるが、美しさを演出している。また、室町時代の特徴がよ く表れているには牡丹と、向拝基は桐 (土)、橘(西)の彫刻が正面欄間には、常に、 等の彫刻で飾られる他、縁廻り、柱は漆まり、 柱頭、長沢組 刻琵琶板は極彩色で荘厳 に仕上げられる。なお、障子には金島( 銀鳥(西)の花鳥図が描かれている。
摂社春日社本殿 社天神社本殿はともに二間 社流れ見世相檜皮の形式で春日社には 野速玉 春日大明神 天神社には大宝 大国主神 恵比寿をそれぞれ、現在の は平成修理の際、礼が発見され文明十二年(一四八〇)の建立であることが判明した。 本殿は明治四十五年特別保護定的に、社二...
Read more小学校の横から参道に車で入れます。逃走事件の影響か警察官が門の前で警備している。 参道は敷石があるものの幅が狭く、ガタガタ道なので車高の低い車は確実に擦ります。要注意。 明治40年に改称される以前は水郡神社と称した。神社のある地域は、太古は「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたようで、旧くは織物の技術を持つ人々が百済より渡来し住みついていたとされている。神社は錦部部(錦部氏)の氏神である。 創建年代は不明であるが、昭和10年(1935年)の本殿修理の際に地中から平安時代中期の丸瓦・平瓦が発見され、そのころかそれ以前に創建されたと推定されている。 川西小学校の門の横に鳥居があり、そこから約150メートルの長い参道が続いている。社務所と拝殿の間を通りぬけると、正面に本殿、その両脇に摂社の社殿が並んで見える。...
Read more御朱印を頂きました
御祭神
主神 品陀別命 ほんだわけのみこと
建速素戔嗚命 たけはやすさのおのみこと
管原道真公 すがわらのみちざねこう
配祀 天照皇大神 あまてらすおおみかみ
伊戔円尊 いざなみのみこと
倉稲魂神 うかのみたまのかみ
天之水分神 あめのみくまりのかみ
高龗神 たかおかみのかみ
摂社 (東) 春日社 春日大明神
熊野速玉神
(西) 天神社 火産霊神
事代主神
大国主神
末社 (北) 金刀比羅宮
(南) ...
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