⭐️別名:七州城 ⇒七つの国が見渡せる高さ65mの童子山❗️ ⭐️7つの国とは ⇒三河、尾張、美濃、信濃、伊賀、伊勢、近江が見えた⁉️
⭐️元々、矢作川西岸に挙母藩陣屋を構え1万石で三宅氏~本多氏が統治、一時幕府直轄地に、その後1749年に安中藩から2万石で内藤氏が入封、現在の桜城域に内藤政苗が本格的な新城築城に着手も、度重なる矢作川の氾濫に悩まされ当地に築城困難と判断、築城地を南西にある童子山に変更し「挙母城」完成、高台で景観良好😄 そして、今は豊田市美術館の敷地となり櫓台の石垣が残り1977年隅櫓復興、周りは緑も多く、散策するには凄く良い場所❗️
⭐️敷地内の書院「又日亭」(ゆうじつてい) 寺部城にあった書院、明治期に寺部城域から他に移築され、更に1977年隅櫓復興と共に現在地に移築、江戸期の遺構、状態良好🤔
【ちょっと一言】 隅櫓は中に入れますが登れません‼️ 七州城(挙母城)は景観豊かな城跡、なので最上階を展望台にすれば、より楽しめたような凄く勿体無い😅
【ちょっと余談】 ⭐️渡辺半蔵守綱⭐️ ・1608年、家康直命で家康九男の尾張藩主徳川義直/尾張藩付家老として寺部城入封、以後、渡辺氏が代々寺部城継承し何と明治時代まで至る、凄い❗️ ・家康直臣として『槍の半蔵』の異名、「鬼の半蔵」服部半蔵正成と並び称された😲 ・熱心な一向宗徒、三河一向一揆で松平元康(家康)に反逆、その後帰参許され、以後数多くの先陣で先鋒を務め忠義を尽くす🐎...
Read more挙母城跡(七州城跡)の歴史は江戸時代にさかのぼります。桜城(旧挙母城): 挙母城は、もともと矢作川の近くに築城されました。内藤家が挙母藩主となった後、寛延2年(1749年)から築城に着手したが、度重なる矢作川の洪水被害に遭い、築城を断念。現在は隅櫓の石垣などが残る公園となっています。七州城(新挙母城)は桜城の築城が難航したため、挙母藩は洪水の被害を考慮し、1785年に童子山の高台に新たな城「七州城」が完成。...
Read more市指定史跡 2024年8月中旬、豊田市美術館に行く際に寄りました。 外観のみ、中には入れませんでした。 説明板には ———————————————————- 挙母城[七州城]址隅櫓跡 この城は、7つの国が眺望できることから「七州城」ともよばれ、桜城の建設が矢作川の氾濫により断念された後、天明5年[1785年]に完成をみたものです。 七州城は、内藤氏2万石の館として、2代学文以降6代86年続きましたが、明治4年[1871年]に全ての建物が取りこわされ、現在は隅櫓の石垣が往時の面影をとどめています。石垣は、上辺部東西10.8m、高さ6mあります。 現在の隅櫓は、昭和53年に復元されました。 豊田市教育委員会 ———————————————————- とあり 明治6年の廃城令を前に廃藩置県のタイミングで取り壊されたようで ...
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