⭐️城郭としての名称は①江戸時代以前は「寺部城」②江戸時代からは「寺部陣屋」とした方がしっくり来ます❗️
★遺構★ ・本郭址、土塁址、土蔵跡、仏間跡、城郭規模にしては多い井戸3つ、陣屋の建築物の礎石部を表示して分かりやすく成っていて面白いです👀 ・「又日亭」…寺部陣屋の書院/茶室、豊田市内の挙母城(七州城)跡に移築現存😄
⭐️①の時代⭐️ ・文明年間(1469~1487年)に鈴木下野守が築城、地域的に松平氏、織田氏、今川氏の狭間で寺部鈴木氏は悪戦苦闘、右往左往、離反帰服、最終的に1566年桶狭間の戦いの6年後、織田信長の重臣/佐久間信盛の攻撃により落城🔥
★余談/徳川家康★ ・松平元信(松平元康⇒徳川家康)、初陣の城、1558年(永禄元年)今川氏を裏切り織田氏に通じた寺部城主/鈴木重辰を攻城🐎
⭐️②の時代⭐️ ・1607年に亡くなった尾張藩主/家康の四男/松平忠吉に替わり、1608年(慶長13年)家康の九男/徳川義直が尾張藩主となり、家康直臣の渡辺半蔵守綱が家康の命で付家老となり合わせて三河寺部を幕府から拝領、各地の所領併せ14,000石を有した、一応14,000石なので「寺部陣屋」😁 1614年&1615年大坂の冬夏の陣で義直を軍事補佐、1616年大御所家康が亡くなり守綱も尾張に入部し、尾張や三河寺部の治世に関与し1620年死去、79歳当時としては御長命✨
★余談/渡辺守綱★ ・家康の直臣に半蔵2人、「鬼の半蔵」服部半蔵正成に対し、「槍の半蔵」渡辺半蔵守綱‼️ ・1563年に西三河全域で勃発した三河一向一揆に加担し家康に背く、江戸幕府の重臣となる本多正信や三方ヶ原の戦いで家康を救助討死した夏目吉信らと共に一向一揆収束後に帰参、以後、家康の戦いでは最前線で武功を重ね、後に徳川十六神将と呼ばれる⚔️
🚗…駐車場は無いです、車で行く場合、周辺の道路は狭いです、運...
Read more豊田市指定史跡寺部城跡 慶長15年(1610)江戸時代の旗本で尾張藩付家老「槍半蔵」こと渡辺守綱が1万4000石で入城し陣屋を築き支配しました。以後明治まで渡辺氏が統治し現在の城址には守綱神社があります。 神社の北にある寺部城址の森公園には土塁や礎石の一部が残され城跡碑や案内板が建てられています。 【歴史】 築城は15世紀後半に鈴木重時によって築かれたのが始まりとされます。鈴木氏は寺部城を拠点とし、今川氏が三河に侵攻すると従属します。 その後織田家に寝返った為、当時今川の人質として支配下にあった松平元康(のちの徳川家康)が攻めてきます。松平元康17歳、永禄元年(1558)これが元康の初陣と...
Read more寺部城とその近隣の城は松平元康の初陣の場となった地域。
寺部城:文明年中(1469-1487)、鈴木重時により築城。 永禄元年(1558)、寺部城主の鈴木氏は今川側から離反し織田側に服属。 それにより今川義元は駿府の松平元康(徳川家康)に寺部城攻めを命じた。 寺部攻めが元康にとって初陣。
慶長15年(1618)よ...
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