修行山南岳寺といい真言宗智山派のお寺で御本尊は大日如来になります。 南岳寺は度重なる火災により寺の記録が焼失していて詳しい寺暦は不詳ですが弘法大師空海により開かれたのが始まりとされるお寺です。 湯殿山神社の別当寺院であった「湯殿山注連寺」の分寺として湯殿山修験者の修行や祈祷所として利用されたといいます、寺運も隆盛し嘉永年間(1848年~1854年)には鉄竜海上人によって本堂が再建されています。 「鉄竜海上人」は明治十四年(1881年)に入定し即身仏となりましたが、明治初頭には修験道廃止令や墳墓発掘禁止令が発令された為事実上即身仏になることが禁止されていたので大正時代に入るまでその事実は秘匿されていました。 昭和三十一年(1956年)の鶴岡大火により類焼し御本尊・鉄竜海上人の即身仏・長南年恵堂(おさなみとしえどう)現在の淡島堂以外の堂宇が焼失し寺は衰微しましたが昭和四十七年(1972年)に現在地に境内が移され再建されました。 「長南年恵」は今で言う超能力者で色々な風潮により警察にも逮捕されましたが証拠不十分で釈放されています、人々のため様々な力を発揮したと伝わります。 また真言宗智山派の清水山柳福寺を合併しています、柳福寺は庄内藩主酒井家の祈願所として創建され正徳年間(1711年~1715年)には庄内三十三観音霊場の札所に選定されるなど寺運も隆盛しましたが明治に入ると衰微し明治四十二年(1909年)に南岳寺に合併され昭和十五年(1940年)に南...
Read more庄内地方にある六体の即身仏のうちで唯一、明治になってから入定した鉄竜海上人の即身仏を安置する寺院です。当時既に即身仏とするために死体を掘り起こすことも、防腐のために処置することも違法となっていたため、時効が成立するまで存在が秘匿されていたそうです。 なお、日本最後の即身仏は庄内でなく新潟県村上市の観音寺にあります。庄内では他に湯殿山中の大日坊と注連寺に一体ずつ、少し離れたところに一体(いずれも鶴岡市)、酒田市の海向寺に二体が安置されいます。 即身仏は物見遊山で見物するものではありませんが、こちらは鶴岡市街にある普通の檀家寺なうえ、本堂も火災の後に鉄筋コンクリート造で再建されているため、どうにも厳かさに欠けます。街中の寺院であるのは村上の観音寺も同じ、鉄筋コンクリート造なのは海向寺の収蔵庫も同じですが、二つそろってしまうとやはり何だかなあという気がします。南岳寺の境内には明治時代の超能力者で生き神様と称えられた女性も祀られていますが、超能力でなんとかなるなら常軌を逸した苦行を重ねて即身仏になるなどまったくの徒労と思えてなりません。
即身仏を安置している寺院のうちでは海向寺、観音寺と共に公共交通機関でのアクセスが比較的便利ではありますが、あまりお勧めはしません。即身仏初心者であれば総合的な解説が充実している海向寺、即身仏となられた方の人となりにふれるのであれば観音寺に参拝さ...
Read moreThis is one of the temples keeping a treasure of a very rare sokushinbutsu mummy. Stunning. A nice old lady showed us around and...
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