転用石の石垣で有名なお城の跡地という事でこちらに訪れました。散策していたところ史跡を案内されているボランティアの方々がいて案内しましょうかと親切に声をかけていただきました。有難うございました。 郡山城の歴代の当主のお話や変遷、展望台から東大寺や若草山、平城京、他沢山の各有名観光地が見渡せて今の建造物の場所に絡めて分かりやすく解説していただきました。その知識の泉に平伏です。お城は順慶の後に秀吉の弟の秀長が今の大阪、和歌山、奈良、三重にわたる100万石ほどの領土を納めていたそうで当時重要な拠点のお城だったようです。 石垣の石は江戸の平和な時代の時は綺麗に加工されて大分手をかけられましたがこちらは戦国時代で時間もかけられず自然のままの形を生かしたものや各地の使われなくなった石を積み上げられたものです。地震の際には加工され過ぎた石を積むよりもこちらのタイプの石垣の方が頑丈との事です。小石は落ちるが大きな石が元の形に戻りやすいとの事で面白く興味深く感じました。 石垣に使う石が足りず使われなくなった平城京から多く運ばれたり各地の寺社の柱を支える石や墓石も運ばれたそうです。転用石は他でも行われていましたがこちらでは煩悩の108にちなんで1000個以上の大きな大きな数珠玉で天守閣を囲い毎年供養が行われるとの事でした。 郡山城の天守閣は絵など史料が残っておらずあったのかどうかで論争になっていたそうです。出土した金箔瓦が他の天守閣に使われたものと同じものという事で決着がついたそうです。 跡地には綺麗な庭園があったり明治期の図書館が移築されています。素敵な風景を見ながら興味深くお話しを聞くことも出来て充実...
Read more2019.04.01 Cherry blossom has not yet been in full bloom but they were still really beautiful. I went there around 7 in the morning and enjoyed the calm atomosphere with bush...
Read more10世紀後半に築かれた"雁陣之城"を出発点とし、桃山期に秀吉の弟・秀長が1585年に入城し、大和大納言百万石の居城となったことで街が発展した。江戸期に入ると、水野家、松平家、本多家と続いた後、1724年に柳沢吉里が入封し、明治まで柳沢家がこの地を治めたが、明治になると廃城令で廃城となり、跡地は堺県師範学校分局郡山学校(現奈良県立郡山高等学校)、生駒郡立農学校(旧奈良県立城内高等学校・現奈良県立郡山高等学校)が置かれた。1880年に初代・吉里の父で五代綱吉の側用人・柳沢吉保を祀る柳沢神社が創建され、そのころから城内に桜が植えられるようになり、現在は600本が堀の周りに植えられ、1990年には"日本さくら名所100選"に選定されている。1953年に追手門が復元され、1960年には本丸跡や郭跡が奈良県指定文化財となり、1984年には追手東隅櫓、多聞櫓、1987年には追手向櫓がそれぞれ復元され、2017年には天守台周辺が整備され、"続日本百名城"に選ばれた。2021年には本丸と毘沙門曲輪に架かっていた極楽橋が復元され、2022年に国の史跡に指定された。 近鉄郡山駅から歩いて15分ほどの歴史が詰ま...
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