※御朱印の情報は昨今の情勢で日々変更します。要確認です※
バス停で一番近いのは大宰府政庁跡というバス停です。
(令和元年11月末に行った時の御朱印についての写真追加しました。)
↓別の日 令和の即位礼正殿の儀の祝日に再び来訪しました。ご朱印が16時迄だったらしくおしくも今回は17時前に辿り着いたので間に合いませんでした…。 都府楼前の展示館も16時半まで無料開放されてたらしく歴史のプリントを神社前で無料で配られてたおば様がご親切に教えて下さいましたが残念です。次回から早目に来ます💦
ここから下は最初に訪れた令和元年の5月の情報です ↓ 神社の前に駐車場が出来てるそうです。 5月終わりごろから又 御朱印を再開されたみたいですが、曜日など詳細は要確認です…。 令和の額縁で写真撮影出来ます(要確認)
あと、コミュニティバス(まほろば号)の利用も便利だそうです。
10連休の5月2日(木)に参拝。 (なので、以下の内容は10連休中だけのものが含まれるかも知れませんのであしからず……) ナビ用(太宰府市坂本3-14-23)
GWだったので神社前までは車で行けないようになってましたので、太宰府政庁跡(都府楼跡)の横の、係員サンがいる(普段は居ないかも!?)無料駐車場に停めました。午後の14時頃に着きました。 そこから歩いて数分の場所でした。 連休が終われば他の方々が書かれてるように神社すぐ前の駐車場が再開されるのかも知れません。
雅楽が流れてて、御朱印(手書き)、御朱印(書き置き)、参拝のみ、の3列に分かれて並びます。 御朱印500円からです。 2日は書き置きの御朱印は2千枚用意してたらしく、自分は御朱印帳を持って来てなかったので書き置きを頂きました。 整理券をもらい、ほんの数分で頂けましたが、整理券の番号が1900番台の中頃だったので、ギリギリ間に合った感じです。 15時過ぎには書き置きは全てなくなったようです。 手書きは引き続き頂けたのかも知れません。 氏子さん方がとても親身にお世話をして下さり気持ち良かったです。
駐車場まで戻るのに史跡の方を通って戻りました。史跡はブラタモリでも紹介されてた場所で季節がらとても気持ち良いお散歩が出来ました。 時間のある方は太宰府政庁跡の入口向かって右側にある太宰府展示館(無料)を見学されるといいと思います。顔出しパネルもあります(期間限定かもです!?) 私は気付かずさっさと太宰府天満宮に車で行ってしまったので次回是非寄りたいです。
令和の時代が新天皇陛下、新皇后様と共に 日本全体がお互いを慈しみ合い素敵な時代を作り上げていかれますようにと、昭和生まれの自分は坂本八幡宮に気持ちを寄せてきました。 県外からいらした方々におすすめなのは、 A:【坂本八幡宮→太宰府政庁跡→太宰府展示館】 ⬇️⬆️ B:【太宰府天満宮と天満宮参道の店々→太宰府遊園地(お子様用)→九州国立博物館】 の観光がいいと思います。(A~Bは3キロ離れてるので、バス.タクシー.車.での移動がいいと思います。元気な方は徒歩で☆) (西鉄太宰府駅は太宰府天満宮の参道の目の前にあります) (坂本八幡宮に一番近い駅は、都府楼前駅(とふろうまえ)ですが徒歩16分らしいです。)
(AからBに行くのもいいし、BからAに行くのもいいと思います。交通手段とその日の天候、滞在可能時間でお決めになると良いと思います。)
太宰府天満宮の方の参道は珍しいスタバや有名な梅ヶ枝もち、福岡ならではの美味しい食べ物屋.お土産屋が浅草の仲見世みたくかわいく軒を連ねてます。 (Aの3箇所は徒歩圏内、Bの4箇所も徒歩圏...
Read more村社 八幡神社 筑紫郡水城村大字坂本字辻 祭 神 應神天皇 由 緒 不詳,天文,弘治の頃勸請と云ふ。明治五年十一月三日村社に定めらる。 例祭日 九月三十日 主なる建造物 本殿,拝殿 境内坪数 百三十五坪 氏子区域及戸数 六十戸 福岡県神社誌 中巻
坂本八幡宮縁起 この坂本八幡宮は土地神・・産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神としています。 「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁二年(八一一)辛卯二月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ水田五十町を寄附し給ふ。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本坊と呼り。」とされ,平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。 坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で,本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。 当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(一九四四年刊)の記述によれば「天文・・弘治の頃」(一五三二〜一五五七)の戦国時代とされていますが,おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ,その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられます。 境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見かけられ,寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるようです。 この場所が大字の境で「辻」という小字であることも,当社の鎮守としての性格を表しています。 古代には太宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形地を変えながら,現在では坂本区の鎮守として生き続けています。 境内掲示版
坂本八幡宮の四季 4月 春ごもり・厄払い・餅まき・花見 8月 七夕ごもり 秋 しめ打ち 11月 神戻し(かんもどし・神迎え行事) 拝殿掲示
わが岡(おか)に さ男鹿(おしか)来鳴(きな)く 初萩(はつはぎ)の 花嬬(はなつま)問(と)ひに 来鳴(きな)くさ男鹿(おしか)
太宰帥(だざいのそち) 大友旅人(おおとものたびと)
原文 吾丘尓(わがおかに) 棹壮鹿來鳴(さおしかきなく) 先芽之(はつはぎの) 花嬬問尓(はなつまとひに) 來鳴棹壮鹿(きなくさおしか) 万葉集巻八 一五四一
大意 私の住む岡に牡鹿(おじか)が来て鳴いている。今年初めての萩の花が咲き,牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ。
この辺りは,太宰帥(だざいのそら)大友旅人(おおとものたびと)の邸跡と伝えられている。 旅人邸は,「万葉の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが,赴任後間もなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった。 萩の花が咲き初める初秋,牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を求めて鳴く求婚の甲高(かんだか)い声にも,妻を思う自分の心を重ねずにはおられないのであった。
この歌碑・解説板は「歴史と文化の環境税」で作成して...
Read moreまず、月曜日と木曜日は社務所の定休日です。御朱印などは頂けません。ご注意下さい。
新元号、令和の元となった万葉集に編纂されている歌、 「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」 に由縁のある神社です。 小さな神社ですが令和発表直後からたくさんの参拝客で賑わいます。 境内には、菅官房長官が発表の際に使った「令和」の文字を書いた、内閣府...
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