中山信吉 初代から始まる武家の菩提寺で歴代の墓碑が北西側に拡がる。その規模と形式は全国でも稀有な存在です。
永正年間(1504〜1521年)僧朝覚智観寺中興開山(新編武蔵風土記) 常寂山蓮華院智観寺 新義真言宗 江戸大塚護持院の末。慶安元年八月十七日御朱印賜ふ。その文に中山智観寺 寺領内十五石 丹生明神社領同所五石合二十石之事とある。 当寺は陽成帝元慶年間中山氏の遠祖 宮内卿家義の孫丹治武信の塀達するところなり。それより星霜六百年を曆て永正の比朝覚なるもの中興開山す 今の山 院号は正保三年四月大覚寺宮より賜ふの旨 大納言法印守助が執達の状あり。
宝物殿の公開は 毎年十月の最終日曜日です。埼玉県指定文化財の板碑等の貴重な宝物が公開されます。
板碑と言えば 地元の飯能市をはじめ日高市 鶴ヶ島市 坂戸市 等の板碑を調査し貴重な史料を遺された 故織戸市郎氏のお墓が御座います。お近くにおいでの節には墓参されたら宜しいかと存じます。
G* 宝物殿の三枚の板碑 仁治三年(1242年)十一月十九日の板碑について 主尊キリーク(阿弥陀)当先考聖霊丹治家季三十八年星霜改葬之同建弥陀三摩耶一基之石塔 h=1570mm w=600mm これは加治小二郎家季の三十八回忌供養の板碑です。鎌倉時代を語る貴重な板碑で この板碑の研究が周辺地区 ひいては武蔵國の板碑の調査研究に広がりました。 昭和の当寺住職と近くに住まいの織戸市郎氏の調査研究が隣接市町村に及びました。 加治小二郎家季は 源頼朝の二回目の上洛に参加しております。最初の上洛は後白河院の求めに応え 建久元年(1190)十一月七日 畠山重忠の先鋒で 周辺の高麗太郎 はじめ 越生 浅羽 三尾谷 金子 毛呂 小代 仙波 各氏と加治太郎 次郎(小二郎と推定)など総勢千人の供奉しました。 二度目の上洛は建久六年(1195)三月十日 東大寺供養の為 石清水から直後 南都へ。同様の布陣で臨まれ これには加治小二郎の参加がされました。 東大寺は平家乱心で治承四年(1180)十二月平重衡により 興福寺と共に火を掛けられました。 将軍が源頼家 実朝と代わり 元久二年(1205)六月 畠山重忠の乱で 初代執権北条時政(頼朝正室政子父)が追討軍を率い 二俣川で合戦して討った。北条時政軍に加わり奮戦し加治小二郎は名誉の戦死を遂げる。 その三十八回忌に供養建立された板碑なのです。埼玉県指定重要文化財です。毎年10月の最終日曜日に公開されます。是非ご覧下さい。
G* 畠山重忠の乱 この乱には異説も根強い。 時の執権北条時政の策略説です。 畠山重忠は源頼朝が挙兵したのと時を違わず重忠も挙兵します。しかし重忠は頼朝に同調し配下に収まります。先陣を切って活躍目覚ましく配下トップの位置を占める働きを致しました。頼朝が没し時代が移り変わると これが寧ろ目の上のタンコブ。 時政は娘政子の妹を重忠の室に入れたが不安は消えなかった。古来より繰り返される隠謀に陥ったか?
G* 板碑について 板碑とは 石造りの卒塔婆で 平板に加工が安易なのと比較的柔らかいので緑泥片岩が主に使用されました。この原材が秩父の北 長瀞 そして小川町で産している関係で 武蔵國の北域に偏充している傾向が伺えます。1200年の半ばに初見され1600ねんの半ば頃まで作られました。元来が卒塔婆ですから亡くなられた親族の追供養でしたがやがて 生存中に善行を条件に浄土に行けます様お願いして建立する逆修が盛んとなり 辻説法の僧侶と石工の組み合わせで 何人かが集まって建立する 結修(けっじゅう)が現れます。 徳川家康が江戸幕府を開くと...
Read more中山館跡を探していたら、偶然この寺に たどり着いたら境内の奥左側には代々の 中山家の墓地が並んでいます。中山家は加治氏からの分家で武蔵七党の丹党系で北武蔵の児玉地方から出ています。中山家範は後北条氏照に仕え、豊田秀吉の小田原征伐西暦1590年に八王子城に籠城して討ち死にしています。徳川家康は中山家範の次男の中山信吉を家臣にして、家康の子供が徳川水戸藩となる時に、中山信吉を付家老とし、代々徳川水戸藩の家老として明治まで続きました。中山家は有名な水戸黄門を推挙して藩主にしました。中山家はルーツの土地の智観寺を菩提寺として中山信吉から二代目と四代目以外は十三代までこの寺に奥方と眠っています。八王子城で討ち死にした中山家範は飯能市の天覧山麓の能仁寺に墓があります。宗派は真言宗豐山派です。 西暦1868年の飯能戦争には振武軍の一派120名が立て込もり官軍に攻められお寺の...
Read more陽成天皇の治世(877年頃)に加治を領していた中山氏によって建立されたと言う真言宗豊山派の古刹です。 高麗三十三ヵ所霊場28番、奥多摩新四国霊場八十八ヵ所64番に指定されています。 本尊は不動明王ですが、境内には大師堂や宝物殿の堂宇があります。 宝物殿は公開が限られていますが(毎年10月最終日曜公開)、幕末飯能戦争の砲弾を受けた門扉や板碑、薬師如来像等の文化財が見られるみたいです。 また境内高台には江戸期に水戸藩家老として君臨した中山氏の墓所があります。(地元に誇りを持っていた中山氏は水戸に行っても故郷飯能を菩提寺にしたみたいです) 非常に歴史が有り見所も満載な智観寺ですが幕末の飯能戦争で兵火にて焼失してしまったようでほとんどが再建の建物みたいです。 とは言え雰囲気があって境内を歩きまわるに...
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