このあたりは、三津田住民の漁船碇泊場所で、漁人は船を繋いだ後、その日に漁獲した鯛をもって神社に御礼参りをしました。この社が事代主命を主神とした鯛の宮です。
社殿改築の際、拝殿の下から小さいカメに入れられた「柴の葉」十四五枚が掘り出された。それぞれに神の御名と思われる文字が書かれていたが、くちていたため解読できなかった。また、その近くに抜身の刀剣一振り 槍の穂先もでてきたが、これもまた分からなかったため元の場所に戻した。
また、同境内に慰霊塔がある。 この慰霊塔は1879年 福井県三方郡八村(現・若狭町)で生まれた佐久間艦長が1910年4月15日、我が国初に建造された潜水艇(第六号潜水艇)に乗り呉湾を出港した。しかし、この潜水艇は山口県新湊沖で沈没して佐久間以下14名の乗組員全員が殉職した。2日後の4月17日に第六潜水艇が引き揚げられ、中を確認したところ誰一人として逃げ出そうとはしておらず12人はきちんと所定の配置についたまま息絶えており、残り二人は、ガソリンパイプの破損箇所で死んでおり最後まで修理していたことが分かった。 通常 このようなことになると諸外国では、乗組員が逃げ出そうと出口付近で死んでいるのがよくある光景である。そのため、このことを知った、アメリカではルーズベルトによって国立図書館の前に遺言を刻んだ銅板が設置されイギリスの王室海軍潜水史料館には今も佐久間と第六...
Read more【鯛の宮神社】 お祭り前に参拝しました。奉納幟が建っています。拝殿には大提灯や提灯が掛けられ、太鼓四基が準備され祭事を待つばかりになっています。 神田の寄進がされ、社殿が造営。 文亀年間(1501〜04)福島正則により神田を没収される。元文5年(1740)社殿再興(権現造り) 拝殿・本殿とも向拝が付き銅板葺き。石灯 篭文政10年(1827)正11年戌子九月 狛犬明治40年 拝殿上り階段;天政元卯9月 鳥居;明治40年 。拝殿の事代神社の額が印象的。。。 境内には第六潜水艇、佐久間艇長外14名の慰霊塔があり、「藤田嗣治画伯がスケッチに訪れた。」とか「第43代横綱...
Read more日本の潜水艦技術の発展に寄与した第6潜水艇殉難慰霊碑があります。
スノーケル航走のさきがけとなる航走実験などの訓練中に機構が正常に機能せず艇内に浸水が発生、海底に着水した。 乗組員は全員殉職することとなるが、息絶える直前まで職務に全う...
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