玉櫛媛命
玉櫛媛(たまくしひめ)とは、日本書紀では事代主神・古事記では 大物主の妃。神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛命の母。別名:溝咋姫神・三島溝杭姫・三嶋溝樴姫・溝咋玉櫛媛・活玉依姫・勢夜陀多良比売ともいう。
媛蹈鞴五十鈴媛命
ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)は、神武天皇の皇后である。 『古事記』では「比売多多良伊須気余理比売」(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記し、別名、「富登多多良伊須岐比売」(ホトタタライスキヒメ)としている。
皇后の名の中にある「タタラ」とは、たたら吹きを指したり、その時に用いられる道具を示す場合もあり、このことは、皇后の出身氏族が、製鉄と深い関係がある東部出雲(島根県松江市、安来市、奥出雲町を含む)地域であったことを物語っていると考えられている(加藤義成『古事記参究』素行会(1986年)など)。
両親編集
古事記編集
『古事記』では、三輪大物主神(スサノオの子孫大国主の和魂とされる)と勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)の娘である。
勢夜陀多良比売が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。大物主は赤い矢に姿を変え、勢夜陀多良比売が用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子がヒメタタライスズヒメである。ホトを突かれてびっくりして生まれた子であるということでホトタタライスキヒメと名づけ、後に「ホト」を嫌ってヒメタタライスケヨリヒメに名を変えた。
日本書紀第6の一書・先代旧事本紀編集
『日本書紀』第6の一書では「事代主神化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云 玉櫛姫 而生兒 姫蹈鞴五十鈴姫命 是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也」とあり事代主神が八尋鰐と化し三嶋溝樴姫あるいは玉櫛姫のもとに通い、媛蹈鞴五十鈴媛命が生まれたという記述がある。なお『先代旧事本紀』巻4地祇本紀にも「都味齒八重事代主神 化八尋熊鰐 通三島溝杭女 活玉依姬 生一男一女(中略)妹 踏韛五十鈴姬命 此命 橿原原朝立為皇后 誕生二兒 即 神渟名耳天皇 綏靖 次產...
Read more主祭神の一柱「媛蹈鞴五十鈴媛命」は神武天皇の皇后だった方。 そしてこの神社の存する地域は「五十鈴町」という地名である。 またその母神「玉櫛媛命」も主祭神として祀られており、同様にこの姫御子と同じ名を冠する「玉櫛町」という地名がある。 さらにこの近隣には出雲東王家である冨家の名を冠する「登美の里」という地名があり、「玉櫛媛命」の父神は出雲の神「事代主命」である事等からも、この地域一帯には出雲から移住した王族の領地があったと考察される。 また、同地域一帯の旧名は「三島」と呼ばれており「玉櫛媛命」の別名にも「三島溝樴姫」とある事を見ても上記考察の信憑性は高いと考えられる。 神武天皇が皇尊である事を出雲王族との婚姻関係をもって人民が認めたと仮定すると、畿内で即位した天皇の皇后一族の領地が北摂に与えられ、それら祖神を祀った社が当地に残っていると考えると古代から続くロマンを身近に感じられる古代史好きには...
Read more約30年以上前、小学生の時、友達と数回だけですが、参道を自転車🚲️で通った記憶があります。
当時は『長い参道やな〜』と思いながら通った記憶があるくらいで、本殿があるのすら気づいていませんでした😅
2024/7/14 今回、大人になってから訪れて、ここの神社の素晴らしや、歴史に触れる事が出来凄く良かったです😌
●長い参道 ●立派な本殿と池🐢 ●城主、切支丹(キリシタン)大名[高山右近]から、焼き討ちに合わないよう、烏帽子に...
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