20200404ニュースで新型コロナウイルス感染防止のため4/10(金)夕方からGW明けまで弘前公園立入禁止になると流れていたので、急遽第1回弘前市弾丸ツアーに行って来ました! 岩木山周りの神社で参拝を済ませ、カーナビでecoモードで帰り道を設定した道中に鎮座する「黒石神社」へ向かいます! 小さいですが威厳を感じる神社さんです! 黒石神社:青森県黒石市大字市ノ町鎮座。 江戸時代の寛文2年(1662年)に黒石津軽家の祖とされる「津軽信英(のぶふさ)」が弘前城で死去すると、黒石陣屋東南の隅に廟を建立して埋葬したのが始まりと伝えられています。 陣屋とは、大名領(藩)の藩庁が置かれた屋敷のことです。 黒石陣屋は、今の黒石市民文化会館から御幸公園へかけての一帯にあったそうです! 明治時代に入り黒石陣屋が廃城になると、旧家臣達は藩祖の遺徳を偲び明治12年に神祭願いを県令に提出、社殿建立に至ったとの事です! 黒石神社には、青森県重宝に指定されている「金梨子地牡丹紋散蒔絵衛府太刀拵御神刀」と呼ばれる御神刀等の社宝あるそうです! 津軽家のご子孫が、津軽藩のお宝を大事にお守りしているとの事です! 参拝を済ませて、社務所で摂社の東照宮と併せて2種類の御朱印を頂きました!
20220807浪岡城址弾丸ツアーに出掛けました! 昨日の弘前ねぷた祭りで、時間が無くて立ち寄れなかった弘前方面忘れものを巡りに行きました! 浪岡城跡案内所で続100名城スタンプをget! 「浪岡八幡宮」で参拝を済ませ、「青森市中世の館」で「浪岡城御城印」購入し、帰り掛けに猿賀神社で参拝を済ませ、本日最後の「黒石神社」へ向かいます! 黒石神社の裏手にある参拝者用駐車場に車を停め、表に回り鳥居から境内へ入ります! あらあら、境内は修復中なのか整地用重機が2台鎮座してました! 拝殿と東照宮で参拝を済ませ、社務所で東照宮と併せて2種類の直書きの御朱印を拝受致しました! ん?「黒石陣屋跡」御城印が販売されていたので、話を...
Read more私のルーツのひとつである青森県黒石市に鎮座する、市ノ町の黒石神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
黒石藩の祖である津軽信英(つがるのぶふさ)は、寛文2年(1662年)に没した際に黒石陣屋(黒石城)の裏鬼門にあたる東南の隅に廟が造営され祀られていた。 この津軽信英は、弘前(津軽)藩二代目藩主である津軽信枚の次男として、江戸神田の津軽藩別邸にて元和6年(1620年)に誕生した。母は徳川家康の異父弟である松平康元の娘であり、家康の養女となった満天姫。 のち津軽本家四代目の弘前藩主・信政が、今だ若輩であると判断した幕府により、その後見役として信英が選ばれ、弘前藩支藩として黒石藩の元になる黒石、陸奥湾夏泊半島の根本にある平内、上野国の飛び地が分地して与えられ、その藩主に治まることになった。
余談ではあるが、この黒石系津軽家には上記のように徳川家本流に近い血が入っているのと同時に、津軽本家には石田三成の娘である辰姫が輿入れして、豊臣派の血が繋がっていくことになる。 これは南部家からの独立を図る際に、いち早く豊臣秀吉の下に参じ、大名として認めてくれた恩義から、関ヶ原の合戦後に密かに石田三成の遺児達を津軽に匿ったからなんだそうな。
その後、明治時代に入り廃藩置県により黒石陣屋が廃止となると、旧家臣達は藩祖の遺徳を偲び明治12年(1879年)に神祭願を県令に提出して現在地に社殿を造営し御霊を遷座したことが創建の由来となってます。
現在も黒石津軽家の後裔の方がこの神社の神職を務められており、社務所で御朱印授与下さる方もこの後裔の方だったりします。
最寄り駅は弘南鉄道弘南線黒石駅ですが...
Read more2023年12月9日に参拝しました。 明治12年に黒石藩祖津軽信英(のぶふさ)を祀って創建されました。平成25年に弘前東照宮を合祀するにあたり、養母満天姫(2代津軽藩主信枚の正室)もお祀りしています。 2代津軽藩主信枚(のぶひら)のお手付きとなった藤(後の智鑑院)は、信英を産んだ後に盛岡采女信利に嫁しています。満天姫は、信英を養子に迎えました。3代津軽藩主信義からすると信英は、腹違いの弟ということになります。信義が早逝したため、嫡子である4代津軽藩主信政は、幼少でした。幕府の裁量により、信英は、信政の後見人となり、藩政を切り盛りすることになります。その時に津軽藩から5千石分知され、黒石藩が新設されました。更に黒石藩は、分家も成立した時期もあり、津軽宗家、黒石本家、黒石分家の3系が併立します。その後、更に5千石を加えられ、旗本から大名となりました。 この神社の宮司様は、黒石本家当主の方です。 社門は、黒石陣屋で現存する...
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