正法寺(しょうぼうじ) 長岡京の厄除けで創建。京の西北にあたる。 西北は厄除けをする方角。
大きさは広隆寺と同じ。最澄が建てた大原寺があった。49の塔頭があった。 当時は春日善法寺という名前。桓武天皇の奥さんが藤原家の出身。奈良の春日大社の分身をここに作った。 その前から、ここには寺があった。鑑真の弟子、智威(ちい)がこの地に隠棲した、それが始まり。 応仁の乱で焼けたが、江戸時代初期、元和元年、高雄槙尾の西明寺の僧侶が尽力し、1619年に再建。
本尊、三面千手観音、鎌倉時代の初期、化仏26面+三面=29面。三面は現在・過去・未来の三世を表す。 昭和30年まで秘仏だったため、金箔がきれいに残っている。 平安時代と鎌倉時代の仏像の違いは、鎌倉時代に顔が人間に近づいてくる。玉眼をはめ込むようになった。三面とも玉眼が入っている。 合掌の手の形がピタッと決まっている。三面千手観音像は、平安時代の特色を持つ顔の表情。 手は、左右に20本づつ、の計40本。合掌の手が両手で1本、その下の手が両手で1本、合計42本と数える。
三面千手観音の左側、向かって右側は、聖観音像。異型の観音菩薩がたくさん作られるようになったので、元来の観音像が”聖観音”と呼ばれるようになった。平安初期、伝弘法大師の遺作。その左、向かって最右は大日如来、室町時代。 三面千手観音の右側、向かって最左奥は、阿弥陀如来、室町時代。この近くの安養寺の本尊だったが、廃仏毀釈でここに来た。
江戸時代初期の陶工、野々村仁清が、仁和寺の方で窯を構えていた。仁清は、阿弥陀さんを拝んでいた。仁和寺、安養寺、西明寺に香炉を寄進した。安養寺の香炉が、現存し藤田美術館にある。 安養寺という名前の寺は、阿弥陀如来が本尊。
五代将軍綱吉の母、桂昌院がこの辺に住んでいた。ので、後ろ盾となった、最初は侍女としてついていったら、家光の子供を生んでそれが綱吉だった。玉さんという名前で、輿に乗ってやってきたので、「玉の輿」という言葉ができた。
松本明慶作の仏。
一番南の部屋には、走り大黒、中国の衝立には石がはめ込まれている。庭におかれた石は、動物に例えられる。 ここからの長めが素晴らしい。大原野。 その北隣が襖絵。住職と同級生の遺作。本堂、不動堂には、烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)が安置される。そこから太鼓橋、下に庭が見える。塔は東山の高台寺からの移設。高台寺が駐車場を作るので不要になったことから、ここに移設した。
上の駐車場の松の木は、松葉が五本、...
Read more星6つ差し上げたい隠れた名刹。 珍しい仏像、 整った石庭、 感じの良いご住職、佇まいも良く 落ち着きのある素晴らしいお寺です。西山の極楽浄土! 究極の癒し寺。
本堂入ってまず左手側に薬師如来、優しいお顔立ちが間近で拝めます。本尊の 千手観音は化仏が左右にある珍しい三面千手。向かって右に空海作と伝わる正観音。左に愛染明王。この空間が心地よいので長居したくなります。
さらに廊下を進むと走り大黒天のおわす広間。ここからの眺めが絶景。京都市内と東山を借景に名石を配した鳥獣の庭と水琴窟でくつろげる事!バスを一本遅らせて 真夏の開放された庭園を一時間あまり ひとり貸切りで堪能しました。飲食禁止ですよ。
廊下を反対に戻り、玄関風なプライベートスペースを静かに通り抜けると春日不動明王、さらに三十三観音のとなりに...
Read more2019年6月29日 入山。 大原野神社の鳥居から歩いて、極楽橋を渡って行きました。 山門と云うより、和建築の豪邸によくあるような門をくぐって入ります。 すぐに受付があり、見処の説明を伺いながら、拝観料とご朱印帳をお渡しし、中へ進みます。 本堂には仏前に録音のスイッチがあり、説明を聴きながら、仏様を拝むことが出来ます。 庭に回ると、洛北の似た名前の寺院「正伝寺」を思わせる白砂に、動物に見立てた石が並んでいます。 手前には池も配され、広々としたお庭です。 室内には「走り大黒天」が納められており、ユーモラスなお顔を間近で拝むことが出来ます。 引き返し、入り口を通り過ぎ 次の見処に向かう通路は、ご住職一家のお住まいを通り抜けるように思われ、少し気が引けます。 春日不動尊を拝み、稲荷社をお参りすると、一通りの拝観が終了です。 外に出ると、駐車場の上に...
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