今では、ここより西側に臨海工業地帯ができ、往時の姿はなかなか想像しづらいのですが、この神社も大変由緒のある神社です。風光明媚な浜辺であった名残を感じさせる白砂の砂浜の庭があります。是非とも太古を偲び、今在る神社を未来へ引き継ぐべく、想像を巡らせて下さい。
大阪府の地名2「高石」から抜粋です。現高石市西部の海浜に沿った地域の称で、旧高石南・同北・今在家などの村に相当する。高脚(日本書紀・日本霊異記)、髙師(万葉集)、高磯(内閣文庫本「大鳥神社流記帳」)とも書く。高脚海は古代天皇家の禁漁区で、高師の浜は歌枕として、しばしば和歌に詠まれた景勝の地である。高石の地名の初見は「日本書紀」垂仁天皇35年9月条で、五十瓊敷命を河内国に遣わして高石池を作らせたとあり、当時和泉国は河内国の一部であった。(中略)平安末より鎌倉期の高石は、国衙領であるとともに和泉一宮大鳥神社の神領(祓戸・供菜浦)であった。「大鳥神社流記帳」には大鳥五社のうち正一位勲八等大鳥明神の神領として「浜弐浦(四季御贄料 葦田浦・高磯浦)」「御祓戸 在葦田浦」とみえる。浜二浦石津川河口を北限とし、南は王子川河口に至る大鳥郷浦である、髙師の浜はその中心である。葦田浦は五社のうち「島木里」に鎮座する正三位浜神社(現羽衣浜神社)を中心に「葦田」の小字が密集する芦田川下流域を南限とする海浜であり、(中略)なお、戦国期より近世初頭にかけて堺で活躍する会合衆のなかに、高石(高瀬)屋を名乗る宗好・宗兵衛・助一郎(卜意)らがおり、高石氏ないし高石地区の国人の出身と考えられる。
また、同書「高師の浜」には、現高石市の海浜部の古称で、高脚・高石とも書いた。「日本書紀」持統天皇3年(689)8月16日条に、「河内国大鳥郡高脚海」に準じて摂津の武庫海などに守護人を置き、一般の漁猟を禁じて天皇家の漁猟区としたとあり、高脚海はそれ以前からの禁漁区であったことがわかる。(中略)「万葉集」巻一には、持統天皇が難波宮に行幸した時、随伴した置始東人の歌として、「大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ」がみえる。高師の浜に冠せられている「大伴の」は、大化前代のある時期に大伴氏が住吉を中心として、和泉地方の沿岸部に一定の勢力をもっていた事と関係する可能性もある。(中略)高師の浜は砂浜と松林の連なる風光明媚な地であったため、歌枕として多くの歌に詠み込まれている。「古今集」には和泉国にいた紀貫之が、大和守藤原忠房に返した次の歌がある。「おきつなみに、たかしのはまの、はままつの、なにこそ君を、まちわ...
Read more大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)。大阪府高石市羽衣。 式内社(小)大鳥濱神社。 大鳥五社明神の一社。大鳥大社の境外社。
主祭神:両道入姫命。 本来の祭神は、涸れることのない神水(井戸)としての水神と思われる。
資料によると、 現在の海岸線より500mほどの距離であり、もとは海浜近くにあったと思われる。 境内の井戸からは今日でも真水が得られ、海浜に近い場所で清水が得られることは、飲料用として測り知れない恩恵を与えたものと推察される。 近世には「井戸守(森)明神社」と称され、境内の井泉を守護する今在家村の氏神として尊崇された。 境内に井戸守稲荷大明神という摂社があり、井戸の水を守る神様で、実はこの井戸守が守る水の神が本来の大鳥羽衣浜神社の祭神と思われる。 社前の石標には「羽衣浜神社...
Read more24.10.27(日)参詣。 大鳥大社には4つの式内社の大鳥北浜(鍬靱)神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥羽衣濱神社の内の1つ。大鳥大社と、4つの摂社を併せて大鳥五社明神。 大鳥大社には大和武尊が祀られ、大鳥羽衣濱神社の御祭神である両道入姫皇女は、日本書紀によると大和武尊の后であり、仲哀天皇を生んでおられます。江戸時代には、井戸守明神といわれ、社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれていたみたいです。 小さな神社で...
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