宮の前信号の所に有る鳥居の横に、郷社八幡神社の石柱が建っている。その土台石は、出羽山砦の庭石を使った物である様です。参道を行くと大杉の切り株と、神木梶原杉の碑が建っています。境内への石段は、寛保3年に田所周庵が、寄進したものです。左手に行くと駐車場ですが、私の小学校生の頃は、其処に矢場があったのです。境内の手水や神楽殿も新しくなっています、手水の近くに大きなお灯篭が、有ります。此れは以前、元八王子町の境である、通称出口に有ったものを移したのです。社殿は、手入れされています。本殿の上に古い額が挙げられています、社殿が再建させた際に、奉納された俳句が並んでいます。此の地では、俳句が盛んだったのです。以前のお祭りの時には、葦簀の中に人々の俳句が飾られていました。江戸時代の女流俳人、松原庵星布の流れを引く人々が詠まれた俳句なのです。城東会と名付けられた、俳句の会でした。裏山にも御末社が有ります。此処から尾根伝いに恩方町に通じる山道は、高速道路で無くなりましたが有りました。社務所の梶原さん御宅の裏に、慈根寺(じごじ)と言う古刹が有ったのです。明治の廃仏毀釈で廃寺に成りました、大きな池がありました、古井戸もです。この池の水は、枯れる事が有りませんでした。高速道路の橋を渡ると墓地が有ります。神道に成りましたが、古い墓塔には戒名が刻まれています。 慈根寺(じごじ)を支えた人々の中に鎌倉御家人梶原氏がいました。梶原氏はこの地と関係が深いのです。八王子市との合併で市制が変更されるまでは通称慈根寺と呼ばれ、元八王子村の大字でした。慈根寺は梶原八幡宮の神官である、梶原正統氏のお宅附近一帯で現在、本堂跡は中央高速道路が通っている。慈根寺は正暦(990~995)の頃よりあった寺で、藤原氏の京家の出自の元杲が開山となっている。船木田庄内の藤原氏の寺として建立されたと思われる。この寺は明治の廃仏毀釈で廃され、有りません。此の寺で活躍した鎌倉末期から南北朝初期の僧儀海については、拙稿「真言僧儀海の足跡」を参照されたい。梶原八幡宮は建久2年(1191)鶴ケ岡八幡宮が正遷座のときに、梶原景時が古い御神体を賜い、この地が景時の所領の地ゆえに、鶴ケ岡に似たところを選び鎮座したという。この時慈根寺は梶原八幡宮の別当寺とされ慈根寺山西明寺となった。慈根寺の所領は景時の母(横山庄の別当横山孝兼の娘)の持参の地であった。この孝兼は和田合戦で滅んだ横山時兼の曾祖父にあたる。梶原景時は正治2年(1200)10月、新将軍源頼家に結城朝光を、異心を抱く者として讒言したことから、三浦・和田その他、重臣の憤りをまねき、景時一族は鎌倉を追放された。景時は源氏の一族武田有義を将軍に擁立を計り上洛を企てたが、駿河国狐崎で在地の御家人の為に殺され一族は滅びました。景時の長男、景季もこのとき父と運命を共にした。景時の次子、平次景高の子景継は三代実朝嗣職の後、再び召されて鎌倉幕府に仕えた。また景時の三男景茂の子孫は室町時代には近畿、さらに阿波国、讃岐国へも広がっていったのです。
今書いている詩(2)「待つ」
たろうくんは立ち続けている 宮ノ前の鳥居の傍の 八幡神社と石柱に彫られた 処でじっと待つている 夕闇が近づく頃 遠くにお母さんの姿が浮かぶ
たろうくんの顔に嬉しさが広がる お母さんは浅川駅から2キロの 山道を不自由な足を 引きずりながら帰ってきた
働き過ぎで「茶目」と言う眼病に なったお母さんは たろうくんを見つける ビックリ眼をしばたたせて 嬉しいのだが切ない思いが込みあげる
自動車で宮ノ前を通るたびに 太郎君は娘に言う 「お父さんは此処でお婆ちゃんを待っていんだよ」 娘は「またお父さんは言っているね」と母を見る
健やかに成長した娘は 来年に彼氏と同棲するために アパートを探している この地も候補にあるらしい
娘の子供も太郎君のように 此処で待ち続けるのだろうか 娘の幸せを願う私がいる
*平成30年10月1日に日付けが変わった頃に八王子市は、台風24号の風速45.6mを記録して元八王子町の梶原八幡神社⛩にも、大きな爪痕を残しました、その記録写真🤳を追加して...
Read more2024/4/21例大祭。 元八王子の地元の皆さんに支えられたお祭りは、心地よい優しさと風情に包まれていました。皆さんの肩や背中に「應神」の二字が多数見られました。先祖代々八幡さんを大事にされてきたのが伝わります。 奉納舞やお神輿も良かったですが、かつての御神木「梶原杉」の切株も圧巻でした。1191年に鶴岡八幡宮の杉の枝を挿したら育った杉で、781歳になる1972年に枯れてしまったものだそうです。以下、読み取れる範囲で「天然記念物梶原杉沿革誌」(切株にあった鉄の看板)の文字起こしをしました。間違っていたらゴメンナサイ。
天然記念物梶原杉沿革誌 建久二年(1191年)六月 源頼朝の家臣梶原景時氏の地に鶴岡八幡宮を勧請の際、杉の枝を挿したものが生育したと傳えらる(樹齢推定七八〇年余) 昭和三年三月 都より天然記念物の指定を受く 昭和四十七年三月末日 枯損により指定解除、同年四月一日斧入式挙行し、同月二十九日切倒す、五月十六日東京都立郷土資料館へ各一輪宛寄贈 厚さ二〇cm直径二m七〇cm、十月一日拝殿修理落成日に第二梶原杉植樹 昭和四十七年十月一日
宮司 梶原正義 氏子総代 安田富一 虎見十二 虎見政芳 橋本富三 小川啓治 内田長次 虎見弥𠮷 小川尚良 五十嵐重𠮷 城定勇 岡部勲? 金子三治郎 大熊庄平 原田富男 小林周?𠮷 稲村正一 上本靖?治 山本啓次 小坂?武治 小坂重治 常盤正司 志村常次郎 菊谷喜一 寺?屋?? 田野倉旭治 田野倉善𠮷 常盤?貞?雄 新井作蔵 ...
Read moreA very well kept shrine. Well done to the people who take care of it. Would love to attend an event here,...
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