境川沿いを散歩する途中で良く立ち寄る八幡宮です!八幡神を祀る神社で、創建は616年で周辺一帯の守護と子供達を見守る産土を司る八幡宮でもあります!箭幹八幡宮の参道の脇には、木々が生い茂り、夏場は風がよく通り涼しげな森のトンネルになり、秋の紅葉時には、落ち葉舞う参道になります! 参道を進むと本殿に続く階段が見えて来ます!その脇には、見事な釣り鐘が見えて来ます!釣り鐘を叩きたい衝動を抑えて一礼して本殿に向かいます!本殿に向かう途中の門には、仁王様では、なくお武家様の像が置かれています!階段を登りきれば拝殿に到着します!実に歴史感溢れる古い拝殿で荘厳で厳粛な気持ちにさせてくれます!拝殿上部の鳳凰の彫刻を見て心を落ち着かせて、二拝二拍手一拝を捧げて願い事をします!それにしても広い八幡宮ですね!約4000坪の土地の広さですので、もちろん大型駐車場も完備されていますので遠方からでも安心して来れます!願をかけて参道に戻る途中に出会った博識豊かな老人に八幡宮の話を伺うと、地元では、地名の矢部町と同じ呼び名で矢部八幡神とも呼ばれていて、図師や根岸、周辺一帯の八幡宮では、一番大きな八幡宮だと教わりました!そして初詣の時は、参拝客が絶えない程集まる八幡宮みたいです!老人に感謝の意と別れを告げて鳥居門を潜り一礼を捧げて参拝終了です!見所が豊富な神社で、特に祭礼も多々あり、地元民と共にある八幡宮だと感じました!皆様も箭幹八幡宮で安産祈願や七五三の祈願をしてみては、いかがでしょうか?慈愛ある神様のご加護があるかも知れませんよ! 祈願の際には、箭幹八幡宮のホームページに連絡先が記載されていますので、ソチラにアクセスをお願いします!地元民に慕われる優しき神が宿る箭幹八幡宮!地元民だけでは、なく信仰する者を平等に慈愛してくれる愛情ある古き八幡宮でした!それでは、皆様にも良き加護...
Read more2024.9 箭簳八幡宮(やがらはちまんぐう)。矢部八幡宮とも呼ばれる。 交差点の名前にもなっていて場所は分かりやすいです。 神社なのに鐘楼があるのは神仏習合の名残りだと思われます。 立派な随神門があり、また拝殿の彫刻も見事です。 奥宮開扉大祭という33年に一度開催されるお祭りがあるそうで、木製座像を拝むことができるお祭り。次回の開催は2046年(予定)。 【御祭神】 誉田別命(応神天皇) 【由緒】 創立年は616年(推古天皇24年)で、第34代推古天皇の病気平癒のため社殿を修造されたと伝わっている。 小田原の北条氏の配下であった小山田氏一族の氏神として、その勢力の及ぶ地域の総鎮守として崇敬された。また天正4年(1567年)悪疫の流行に際し、滝山城(現八王子市にあった城)城主北条氏照が覚円坊に祈祷させて霊験があった。残念ながら、北条氏の滅亡、小山田氏の敗走等で神職不在の時期が続き、古文書の保存等がなされていないという。 かつては「木曽八幡宮」とも呼ばれており、別当寺は吉祥山住善寺達三院であった。また、社名について『武蔵風土記稿』は「造営の時に社殿屋上に矢幹をさしたので矢幹八幡になった。」とし、『武蔵名勝図会』は「木曽八幡と称するに至った木曽義仲が滅亡したので、木曽を憚り、箭柄八幡に改称した。」と記している。 康平5年(1062年)には源義家が戦勝を祈願したとの伝承がある。天明8年(1788年)12月には当時の代官梁田隠岐守により社殿が再建されたとされ、その後再々の火災にあう。現存する本殿および随身門は享保5年(1720)に建造された。この社殿再建の棟札に「小山田庄惣鎮守」とあり、木曽・根岸両村名主以下、上小山田村・森野村・根岸村・図師村・山崎村・原町田村・木曽村という7ヵ村の氏子が奉...
Read more参道が残されている。大事なことです。 歴史によれば、6世紀前にはすでに存在していた古社。 源義賢と源義平が争っていた時に、老翁の姿で戦場にあらわれ、和平をすすめられた。同族同士争ってばかりの源氏にしては珍しい美談。 小山田義重は、嫡子小三郎に家督を譲った後、覚円坊を名乗り、宮司となった。覚円坊とは木曽観音堂である。木曽義仲ゆかりの地でもある、この木曽の観音堂も武相屈指の名刹で、寺領内には流鏑馬を行う「鉄砲馬場」もあり、木曽観音は「矢受け観音」ともいう。
「箭幹八幡宮にまうでぬ。神前の左右の衛門の木像、いと古き世に作れるさまなり。鐘の銘に「武州多磨郡小山田の庄木曽郷矢部村八幡宮、寛文五年乙巳三月十三日従五位下伊勢守源守久献、従五位下伊勢守源姓高木守久、往年賜采於根岸」など見ゆ。箭幹八幡宮と申すよしは、小山田氏が世々弓矢の神とていつきまつりしがゆゑなりとぞ。鳥居の前にいと大きやかなる松の木あり、恋がくぼのにも劣らぬさまなり。」 小山田与清著 安西勝校訂「筑井紀行」...
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