鹿教湯温泉の文殊堂(もんじゅどう)は、行基(ぎょうき)の弟子の園行(えんぎょう)が創立したものと伝えられています。
※行基(ぎょうき)とは・・・飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。併せて困窮者の救済や社会事業を指導した人物。
文殊堂は現在、天竜寺(曹洞宗)に属しています。はじめは正面・側面とも、柱4本の正方形の建物であったが後に背後に下屋庇をつけ、現在は側面の柱は5本になっています。屋根は銅板葺(元はこけら葺)の入母屋造りで、正面中央の向拝付近や周囲の欄間などに多くの彫刻が施されており、柱・組物などには派手に色がぬられ、天井には絵が描かれるなど、江戸中期の特色をよく現す建物です。
文殊堂を建てた時の記録がよく残されていて、元禄14年(1701)に着工し、宝永6年(1709)に完成したことのほか、大工棟梁が諏訪郡下之原村(現下諏訪町)の牛山平左衛門であったことなどがわかります。
江戸時代中期、すなわち元禄時代の仏堂の作風が明らかな、県内でも数少ない貴...
Read more鹿教湯〔かけゆ〕温泉にあり、行基〔ぎょうき〕の弟子園行〔えんぎょう〕が創立したものと伝えられています。現在は天竜寺(曹洞宗〔そうどうしゅう〕)に属しています。はじめは正面・側面とも、柱4本の正方形の建物であったが後に背後に下屋庇〔げやひさし〕をつけ、現在は側面の柱は5本になっています。屋根は銅板葺〔ぶき〕(元はこけら葺)入母屋造〔いりもやづくり〕で、正面中央の向拝〔ごはい〕(拝む所)付近や周囲の欄間〔らんま〕などに多くの彫刻が施されており、柱・組物などには派手に色がぬられ、天井には絵が描〔えが〕かれるなど、江戸中期の特色をよく現す建物です。
堂を建てた時の記録がよく残されていて、元禄14年(1701)に着工し、宝永6年(1709)に完成したことのほか、大工棟梁〔とうりょう〕が諏訪郡下之原村(現下諏訪町)・牛山平左衛門であったことなどがわかります。
江戸時代中期、すなわち元禄時代の仏堂の作風が明らかな、県内でも数少ない貴...
Read more文殊温泉に立ち寄った際、目の前に広がる美しい自然の景観に心を奪われました。渓流にかかる橋を渡り、急な階段を登った先にある御堂は、歴史の深さを感じさせる静かな場所です。さらに、横の小さな橋を渡ると薬師堂が現れ、林に包まれたその静寂な佇まいが心を落ち着かせてくれます。
この地は、約1200年前に高僧・行基が彫った文殊菩薩像を、弟子の円行が安置したのが始まりとされています。現在の御堂は元禄14年(1701)に着工し、8年後の宝永6年(1709)に完成したもので、元禄時代の仏堂として貴重な存在です。正面の色鮮やかな彫刻や、全体の調和の取れた境内は、訪れる人々に深い感動を与えます。
鹿教湯温泉の名前の由来も、鹿に姿を変えた文殊菩薩が猟師に温泉を教え導いたという伝説があり、その神秘的な背景にさらに魅力を感じました。静かなひとときを過ごしたい方に、ぜひ訪れ...
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