源義家と義光兄弟が勧請したのが起源とされている。平安時代に奥州の後三年の役に出陣した源義家が苦戦していると都で耳にした弟の義光が援助に向かったそうで、その際、八幡大神を祀って戦勝を祈願したそうで、その祈願の返礼に八幡社を建てたらしい。その後に村人が氷川神社を合祀して氷川八幡になったそうだ。この神社近くには明治19年(1886年)に白子村、上新倉村、下新倉村の三村合同で設けた東輝学校があったらしい。東輝学校はのちに東輝尋常小学校になり、さらに東輝尋常高等小学校と名を替えたらしい。この学校は三村合併を意図して造られたらしいが、上新倉村が合併を拒否して東輝学校からも独立して新倉学校を造ったそうで、その時白子村と下新倉村が合併して白子村になったらしい。(名が変わらなかったのはネームバリューだろう。下新倉は無名だが白子は宿場町だった)この合併により下新倉村が消滅(村の中に地名は残ったが村名ではなくなった)したことから、上新倉村は上の字を外して新倉村になったそうだ。東輝学校はその後移転して白子小学校になったんです。和光市の小学校では白子小学校の方が古いとされているのは東輝学校という前身があるかららしいが、その前に独立していた新倉学校の方...
Read moreイチョウに囲まれたお社で、昔は、イチョウが高く、まるで袋の中から空を見上げるような感じだったが、数年前にイチョウの上の方を切り落としたため銀杏も成らなくなった。市内にはもう一つ、新倉氷川八幡神社があるが、由緒はこちらの方がはっきりしてて、平安時代に源兄弟(義家、義光。頼朝は義家の玄孫になる)が、後三年の役で奥州平定後に戦勝祈願した八幡大神への返礼として、この地に八幡社を建立したのが起源とされ、その後、氷川様を合祀したそうだ。八幡大神は、源氏の氏神で、戦いの神という印象があり、一般庶民は、戦いを好まないから氷川神社にしたようだ。 明治時代に上新倉、下新倉、白子の三村が合併することになり、このすぐそばに、東輝学校という尋常小学校が造られたが、その後、上新倉村が、合併を拒否した為、この東輝学校は明治41年に白子尋常高等小学校となり、今の白子小学校の元とされている。 ほかのローカルガイドさんが、新倉氷川八幡神社の分社のような事を書かれてましたが、昔は、新倉は上新倉村で、こちらは下新倉村だったので、神社は、各村ごとに祀られてたので...
Read more神職在住、御朱印を記帳して頂ける神社。 玄関のインターフォン呼び出し、玄関で応対。 新倉氷川八幡神社宮司の弟君です。 オーバーオールを着て境内の清掃など、 外仕事をして居られる事が多いので 庭師さんと勘違いされる方が多そうですね。
大昔、新倉村は人口増加で上下に分村。 喧嘩別れでは無いので御祭神も分霊して それぞれの鎮守...
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